2012年8月11日土曜日

イスラエル考現学 TAXI

【イスラエル-(超)多文化共生(強制)の地を覗く-その3】
タクシーのデザインは統一されている
イスラエルの超多文化について2回にわたって概説してきた。今回からイスラエル考現学(現代の社会現象を場所・時間を定めて研究し、世相や風俗を分析・解説しようとする学問:モデルノロジー)と題して、旅で気になったことを書いてみようと思う。

今回のイスラエル旅では、タクシーを多用した。我々夫婦と息子夫婦の4人で行動したので、4人で割ると、バスを使うのと料金的にそうかわらないらしい。時間もより有効に使えるし、暑さも厳しいので熱中症対策にもなるわけだ。ところが、このイスラエルのタクシー、一筋縄ではいかないのだ。タクシー料金は、2種類から選択できる。普通行われるのは「折衝による料金合意」であり、「メーター使用」も可能である。息子によると、運転手によってはボラれることもあり、特にアラブ人運転手とはよくもめるらしい。また観光地などで待機しているタクシーより、流しのタクシーの方が、ボラれる可能性が低いらしい。パッと運転手を見て、その対応の良しあしを判断する必要もあるらしい。日本のように手を挙げて止めるのではなく、手を少し斜め下に出す。イスラエルは左ハンドルなので、助手席のドアを自ら開け、折衝するのだ。だから一人で乗る時は、その延長線上で助手席に乗ることが多い。英語に堪能な運転手もいるが、ヘブライ語の方が当然良い。息子はヘブライ語で運転手とガンガン折衝し、アラブ人の場合はアラビア語も使う。ユダヤ人の場合、イデッシュ語(ドイツ語とヘブライ語の混ざったアシュケナジの言語)を使うこともある。だから語学が堪能でないと、ボラれずタクシーに乗るのはかなり難しいのだ。

このタクシー、運転がかなり荒い。と、いうよりイスラエルと言う国、強気で運転しないと前に進めない。警笛もガンガン鳴らす。割り込みは日常茶飯事だし、イギリスの信託統治下にあったためか、ロータリーも多い。(テルアビブだけは、新しい都市なので碁盤状の道で信号が多い。)まさに、「オレが、オレが」なのである。さらに路上駐車が多いので道が狭くなっている。ユダヤ人女性もアラブ人女性も運転しているが、ガンガン突っ込んでくる。「運転が示すあなたのお人柄」などという標語は存在しない。が、さすがに路上をわたる人には減速してくれる。中国のようにルール無用とまではいかないが、危険この上ないのである。

イスラエルは「罪」と「罰」の一神教的契約社会である。日本の「恥」の文化とは全く異なる。事故を起こすことは「罪」であり徹底して避けるが、「罪」を犯し「罰」を受けないならばよいという運転だ。周囲を慮り、集団の中での個という概念が基盤となる「恥」という概念は希薄であると見た。

運転中に煙草を吸う運転手もいたし、携帯で会話しながら運転する者も、自分の好きな音楽を大音響で鳴らす者もいた。反対に、丁寧で気持ちのよい運転手もいた。ホント、当たり外れが大きいのだ。

ちなみに、エレサレムだけでなく、北部の諸都市やテルアビブでもタクシーに乗ったが、車種はいろいろながら、全て外装は同じ。白い車体で登録ナンバーが書かれている。これはわかりやすい。

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