2026年2月5日木曜日

正教会:聖霊としての神

https://avantdoublier.blogspot.com/2013/08/blog-post_16.html
カリストス・ウェア著・松島雄一訳の『正教の道 キリスト教正統の信仰と生き方』の備忘録的エントリー、今回は「聖霊としての神」についてである。今回の箴言は、サーロフの聖セラフィムによるもの。「聖霊が人に降り、そこから溢れ出るものの充満で彼を覆い尽くすなら、彼の魂は言い表しがたい喜びでいっぱいになります。聖霊が触れるものは何であれ喜びに変えられるからです。天国は聖霊における平安と喜びです。内なる平安を求めなさい。そうすればあなたをとりまく何千人もの人々が救いを見つけるでしょう。」

ローマのカタコンベ(地下墓地)には、天を見上げ、両手を広げ、手のひらは上を向ける「オランス」という姿勢をとる婦人の姿が壁画に描かれている。この姿(画像参照:注/これはローマのものではない)は、聖霊を呼び求め、待ち受ける嘆願(エピクレシス)の姿である。

聖霊は、ギリシア語ではブネウマ(風ないし息)と呼ぶ。「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこから来て、どこへ行くかは知らない。」(ヨハネの福音書3-8)その理解し難さにもかかわらず、正教会の伝統では、第1に位格(ペルソナ)であること。第2に、他の2つの位格と同等であることが重要である。聖霊はマリアに降り神のロゴスを宿した。ハリトリスを世に送ったのは聖霊であるし、イイススがヨハネの洗礼を受けた時、聖霊は彼の頭の上に鳩のカタチで降った。イイススを伝道に派遣したのも聖霊である。超有名な一節「主の聖霊が私に宿っている。貧しい人々に福音を宣べ伝えさせるために、私を聖別してくださった方である。」(ルカの福音書4-18)とあるように。

さらに復活後は、ハリトリス(すでに受肉していたイエスは死に、神と一体化していた故に)が聖霊を送り出す。(正教会では、カトリックと違い、イエスから聖霊が発するとはしない。)この聖霊降臨は、受肉の目的と成就を形成する。「ロゴスは身をとった。それは私たちが聖霊を受け取れるようになるためである。」(ウラジミール・ロースキー)また、最後の晩餐で、「真理の聖霊が来る時には、あなたがたをあらゆる真理に導いてくれるであろう。それは自分について語るのではない⋯聖霊はわたしのものを受けて、それをあなた方に伝える」(ヨハネの福音書16-13/14)これも復活後のハリトリスを示している。

聖霊は、個人を人格(ペルソナ)へと作り変える。正教会の伝統では、信者の共同体への直接的働きかけがひときわ明らかにされており、ギリシア語でゲロン、ロシア語でスターレツと呼ばれる長老もしくは霊的父がいる。冒頭の箴言に登場したサーロフの聖セラフィムのような人々である。

https://one-piece.com/char
acter/S-Snake/index.html
⋯異教徒にとって、至聖三者の中でも聖霊が最も難解である。倫理の授業での聖霊の説明は、使徒言行録19にあるパウロの洗礼をうけた人々が異言(異国語)を発したことくらいである。今回の備忘録では、少しばかり深まった気がするが、どうもわかりにくい。ちなみに、聖セラフィムの名が出てきたが、このセラフィムは最上位に位置する熾天使(してんし:6枚の羽をもち、神への愛で燃えている)である。セラフィムと聞いて、何と言っても想起するのは、ONE PIECEの人間兵器・セラフィム。王下七武海とルナーリア族の血統を受け継ぎ背中に火がついている。(右の画像はSスネーク)⋯なるほどと、膝を打った。

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