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聖母は、生神女(しょうしんじょ:ギリシア語の訳語)となる。カトリックではルカ福音書の天使祝詞(ラテン語で、アヴェ・マリア)を唱えるが、正教会でも同様の讃詞(トラバリ)がある。もちろん文言は異なる。両者の祈りの輪郭は少し違う。カトリックは、神に祝福されたマリアを讃えながら罪人である信仰者を導く「仲保者」(ちゅうほしゃ:執り成しをする聖母)としてのマリアを、正教会は、救世主が生まれ我々と共にいる喜び、救いを祈り求める神の母を強調し、救われる喜び、救いに入る歓喜の顕現こそマリアである。正教会では、執り成しを「転達」とも言う。また、受胎告知を正教会では「生神女福音」と呼び、マリアは神の救いを世にもたらす福音の扉、「天の門」そして生命の養育者としている。
…以前、何故聖母マリア=生神母への信仰を、カトリックや正教会は重視するのかという点で、上記の執り成し=転達という概念があるからというのが答えだった。ブディストの私からからすると、神に対してなぜ遠回りするのか、少しわかりにくい。倫理でキルケーゴールの単独者などの概念を教えているからかもしれない。
ちなみに、正教会では、イエスの墓に香油を携えてきた女性を携香女(けいこうにょ)と呼び、中でもマグダラのマリアを聖使徒に等しい者=亜使徒と称するとのこと。…つづく。
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