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有名どころでは、聖像の問題がある。カトリックでは三次元の聖像も二次元の聖画もOKだが、正教会ではイコンという二次元のみである。ちなみに、正教会ではこのイコンを聖像と呼んでいるのでややこしい。教会の十字架にイエス像がついている場合はレリーフなのでOKらしい。2.5次元の聖像というわけである。
もう一つの有名どころは、十字のきり方で、カトリックは胸の左から右に切るが、正教会は反対に右からきる。著者によると、聖書の記述などから右が重要視されているがゆえで、カトリックはどこかで間違ったのだろうとしている。ちなみに、正教会は十字をきる時の手で親指・人差し指・中指の3本をまとめるのは三位一体(=至聖三者)を、丸めた薬指と小指はイエスの神性と人性を表し、厳格に守っているとのこと。(さらに右の重視に関わって、カトリックでは結婚指輪を左にはめるが、正教会では右とのこと。徹底している感が強い。)
天国と地獄観も相違がある。カトリックでは煉獄がある。小さな罪の汚れのある者が天国に入る前に清められる場所であるが、正教会はその存在自体を否定している。天国に行くか地獄に落ちるかは神の意思であり、教会の免責の行き過ぎた拡大解釈の代表例が免罪符(贖宥状)である。正教会は罪のゆるしは、神の意志に委ねて祈るしかないとしている。
極めて細かい相違の話。聖職者の髪の毛で、正教会では長髪とヒゲを伸ばしている。旧約の士師記に登場するサムソンが神に誓願をかけた人間として登場するところから来ているらしい。私の正教会の神父のイメージは、著者に誠に申し訳ない気もするが、ラスプーチン(画像参照)である。(笑)カトリックでは、もう禁止されているらしいが、トンスラという剃髪のイメージである。この差は長い両者の対立・対抗意識が生んだものであるらしい。
意外に興味深い話だったのが、両者の破門について。異端の宗派については、前述したので、芸術家はどうか、という内容が面白かった。たとえば、神曲の中で当時の教皇やコンシタンティヌス帝などの悪口を書きまくったダンテは破門されていない。飲む打つ買うで借金漬けになったドストエフスキーは破門されていない。「沈黙」を書いた遠藤周作もセーフ。意外だが、正教会に破門されたのは、トルストイ。正教会を否定し、自ら信ずる信仰、神を被歴し自分の考えた聖書を他者に押し付けたらしい。作品とはかなり異なる傲慢な人物だった故か。さらに破門について少し調べてみたら、カトリックの場合、国王が無茶苦茶多い。ハインリヒ4世やヘンリー8世等は超有名だが、ナポレオン1世やジョン王などその他にもいっぱいいる。現代史では、キューバのカストロも破門されていた。宗教改革のヤン・フスやマルチン・ルターも当然含まれている。ちなみにジャンヌダルクは、異端審問にかかり火刑にされたが、後に列聖されている珍しい例。
…この「オーソドックスとカトリック」は、正教会側からの著作なので、カトリック批判がどうしても強くなる。そのデメリットを差し引いても、実に興味深い一冊であった。
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