学院の図書館で、「オーソドックスとカトリック」(及川信著/サンパウロ)という本を借りてきた。前回のバルト神学に続く、キリスト教本である。学院は、カトリック、それもイエズス会の設立した学校である。宗教科の授業も週1であるし、専門の先生方(カナダ人やエクアドル人、もちろん日本人)もそこそこおられるので、折角なのでいろいろと学びたいと思っている。図書館でもキリスト教関係の書籍が豊富であるのが幸いである。とはいえ、私はあくまでブディストの立場から、比較宗教学的なスタンスをくずすわけではない。学問的興味がある、というだけなのだが…。
ところで、この本の著者は、オーソドックス(正教会)の司祭である。オーソドックスの立場からカトリックとの似ている点や相違点を書いている。ちょうど、佐藤優氏の本で、両者の相違点についていろいろと読んでいたこともあって、チョイスしたわけだ。現時点で5分の1程度読んだのだけれど本日は、導入的に両者の十字架の違いについて書いておこうと思う。
|
https://www.publicdomainpictures.net/jp/view-image.php?image=398052&picture= |
十字架を重視するのは、オーソドックスもカトリックも同じ。だが、形状が違う。オーソドックスでは、カトリックの十字架の上に1本、下に斜めになったもう一本が付け加わっている。上の1本は、イエスが磔になったとき、その罪状(INRI:ナザレのイエス、ユダヤ人の王の頭文字/聖書では3言語で書かれていたとある。)が書かれた板であり、したのもものは、イエスが足を打ち付けられた台である。斜めになっているのは、共に十字架刑に処せられた強盗2人のうち左の者はイエスを罵り地獄に落ち、右の者(聖ディスマス)は悔い改めて天国に行ったとされている。右が上がっているのは天国を指し示しているわけで、イエスの十字架は義の秤となったのである。
少しずつ、こういった相違点を見つけては、エントリーしていこうと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿