2024年6月21日金曜日

コーランの中のキリスト教Ⅱ

イスラエル・テレアビブ大学・ディアスポラ博物館 割礼道具の展示
「コーランの中のキリスト教ーその足跡を追って」(J.グルにカ著/教文館)の書評をエントリーしていこうと思う。通勤時にコツコツと読んできたのだが、最初はかなり原始キリスト教団の歴史について、極めて学問的な批評がされている。なかなか根気が必要な内容だった。(笑)

高校生にわかるように要約すると、ペテロら(イエスの弟・ヤコブがその中心だった。)とパウロの確執である。パウロは、ユダヤ人でありながら、ローマの属州であったトルコ中南部生まれでローマの市民権を持ち、ヘブライ語とギリシア語を使いこなせた、ユダヤ人の中では国際派であるといえる。それに対し、ペテロら直属の十二使徒は、素朴なユダヤ人として、律法の遵守には寛容であった。特に「割礼」(生後8日目に行われる)は、旧約聖書創世記17章1から17節においてヤハウェとの契約締結の基礎とされる。この契約の印として重大な意味を持っていたのだが、パウロは、異邦人(ユダヤ人以外)への伝導のためには不要だとして対立するのである。

マレーシア・ブルーモスク近くの博物館にて割礼に関する展示
イスラム以前のアラビアでは、割礼は習慣であり、アブラハムと女奴隷との間に生まれたイシュマイルは割礼を施された。彼はアラビア人の祖先とされる人物であり、13歳で割礼を受けているので、クルアーンでの言及はないが伝承によって要求されている。ただ、ユダヤ教ほどの特別な意味合いは持たない。

パウロは、ローマ人への信徒への手紙の中で「文字ではなく霊によって」施される「心の割礼」を話題にしている。「福音」によって、アフラハムが受けた祝福が異邦人にも分け与えられる、としたのである。

まずは、「割礼」についての話から始めてみた。

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