2024年6月11日火曜日

農業はビジネスである。

地理総合では、ケッペンの気候区分の学習を土台に農業についてやっている。第一・第二命題として、自然的な視点である、「乾燥と戦う農業」、「雑草と戦う農業」といった水収支を基本に据えた区分、第三の命題として、社会的な要素として「農業はビジネスである」という視点も扱っている。

私はアフリカに3回行ったが、この点に関して実に多くのことを学んだ。ケニアでは、国道で余剰の農産物を売るおばさんを何人も見た。ピーターが普通の農家にも連れて行ってくれて、キャッサバやトウモロコシ、あるいはパパイアなどが雑然と植えられているのを見た。日本人の目から見ると、粗放的で遅れているように見えるのだが、実はエコでこのような栽培方法があまり豊かではない土力を保持するらしい。彼らは自給的に農業をしているが、余剰は現金に変える。すでに自給的な農業などというものは、世界ではレアになっている。ロシアのダーチャと日本の趣味的な家庭農園くらいかもしれない。今日の画像は、ブルキナファソのゴロンゴロンという町で撮ったキャッサバを臼と杵で、粉末化している婦人の様子。町中でも飼えるヤギが周りをうろついているのが面白い。(笑)

とはいえ、ビジネスと遠い農業も存在する。農耕が不可能な乾燥限界や寒冷限界を超えた地、あるいはギリギリの地における遊牧が代表的だろう。京大のアフリカ研の公開講座で遊牧民の話を沢山聞いた。やはり面白いのは、メス重視のスタンスだ。オスは1頭いればいいわけで、その選に漏れた牛は、睾丸を木の棒で叩き、オスの部分をなくしてしまうと教えてもらった。すごい話だが、それが遊牧に限らず牧畜の生き残り戦略なのだ。メス化したオスは、肉牛として育てられ売られる。こんな話は授業で大いにウケる。(笑)

雑穀という語彙も、私はブルキナファソでソルガムやミレットを食べたので、経験的に話せる。うまくはないし、腹もふくれない。ほんと、鳥の餌という感じだった。サヘル地域の土地は、乾燥しているので、耕すと行っても日本のような鍬は使えず、スコップのような形をしており、表面を削るといった具合。これはガイドのオマーンに教えてもらったし、羊とヤギの見分け方は、耳がたれていると羊、立っているとヤギだと、NGOの職員さんに教えてもらった。アフリカのウガリやサザなどの主食についても語ったのだった。これはあまりふれていないけれど、ブルキナファソは当時台湾と国交を結んでいて、その技術支援で陸稲(畑で栽培する稲)を実験的に栽培していた。ケニアでも日本の技術支援で水田が開発されていた。耕運機などはメンテナンスがされず破棄されていたけれど…。

一方で、アメリカやオーストラリアを旅したことも、企業的穀物農業を語るうえで役立っている、アメリカの大陸横断上の機内から、オガナラ帯水層の上につくられた灌漑施設・センターピボットの円形の畑を見て感激したし、コットンベルトのアイオワ州では一面のトウモロコシ畑をシカゴに向けてバスで駆け抜けた。オーストラリアでは、パースの近郊で、これまた360度見渡す限りの小麦畑を見た。超強大なコンバインも見ることが出来た。面白いのは、この辺の小麦は、日本に輸出されるものが多く、それも香川県の坂出港に運ばれる。讃岐うどんになるのだった。

これまで、いろんな旅をしてきたが、授業のネタとして経験できたことは大きい。特に、アフリカでの体験は大きい。牛は財産、羊やヤギは財布というアフリカの牧畜民の常識を、ジンバブエの公園で(買婚ともいわれる)「ロボラ」の話をカップルに質問した話なども含めて、社会科教師としての財産だと思っている。もう海外に行くこともないかもしれないが、特に地理のネタは十分すぎるほど集めた気がする。我が人生に悔いなし、といったところか。

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