フィラデルフィア市庁舎頂上のウィリアム・ペンhttps://keijoseph.amebaownd.com/posts/12064493/#&gid=1&pid=1 |
そもそもクエーカーは、1640年頃に始まった。神は聖書の時代と同様に、聖霊を通じて今も人間に語りかけ続けている。誰でもイエスにつながる「内なる光」をもっていて、それに気づけば救われる。牧師は存在しない。公的フレンドと呼ばれる神に恵まれた人が教育も訓練もなしに説教ができる。礼拝も儀式ばったところがない。彼らがアメリカの中西部植民地に始めて来たのは、1659年、ロードアイランド(RI)である。年1回ニューポートで大会を開いていた。ロードアイランドは彼らの平和主義を支持した。またこの地では宗教税の支払いは義務ではなかった。その後、ニュージャージー(NJ)、デラウエア(DE)にも拡がった。ウィリアム・ペンの移住以降、イングランド、スコットランドから何千人も移住してきた。
ところで、1650年代のマサチューセッツ植民地では、会衆派のピューリタンがクエーカーを弾圧した。留置し、鞭打ち、強制送還した。それでも入り込んだ4名を絞首刑にしている。しかし1700年頃までにクエーカーは、植民地で3番目に大きなプロテスタントのグループになった。その後は減少していくのだが…。
…ちなみに、私はクエーカー教徒を1人だけ知っている。M高校時代のALTである。今から思うともっといろいろなことを教えてもらうべきだった。歴史上の人物では、新渡戸稲造が、有名なクエーカー教徒であることを付記しておきたい。。
0 件のコメント:
コメントを投稿