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公定教会の国々:序論(1月4日付ブログ参照)にある通り、ヨーロッパでは、ウェストファリア条約以来、公定教会制を取っている。ドイツはルター派、普遍主義のルター派は北欧諸国にも拡がっている。領邦国家だったドイツが帝国化するには、ゲルマンの民族意識や梧逸ロマン主義が必要であった。フランスは、カトリックだが、歴史的に敵対してきたし革命時は領地を没収したし、政教分離し、哲学という普遍思想を持ってきた。自由・平等・博愛という普遍思想をナポレオンが他国に押し付けることも可能だった。イギリスは、国教会。イングランドでは唯一合法な教会である。ソ連解体後のロシアの場合、(正教は各民族で分派している故に)ロシア正教がネイションの基盤になりうる。しかも伝統的に皇帝と総主教の二人三脚体制である。
普遍主義思想とネイション:ソ連の場合は、宗教ではないが、マルクス・レーニン主義が普遍主義思想である。ロシア人は、ソ連当時は共産党を公定教会のように理解していたようだが、人類の部分的集合(ネイション)を正当化するナショナリズムとは相性が悪かった。(ギリシア語で普遍を意味する)カトリックの普遍主義とネイションは、スペインやイタリアなど文化や言語といった特性を基盤にしているわけだ。イスラムも普遍主義であるので、人類共同体(ウンマ)を実現し、その政治的リーダー(カリフ)は1人であるべきだとしているので、ナショナリズムや近代国家を導くことは難しい。中国の場合は、特別である。中国共産党はマルクス・レーニン主義(普遍主義)と言えず、中華思想的なナショナリズムの宗教になっていて、神聖政治化している。自由や民主主義の余地はない。
アメリカは、世俗の政府と政府と関係がない、いくつもの教会の組み合わせである。これがアメリカの骨格である。WWⅡ後、国家神道をアメリカによって否定され、信教の自由が憲法によって保証されている日本と似ているわけだ。日本の国家神道は平田篤胤以来、維新の皇国思想と結びついたが、伝統であって宗教ではない。仏教徒であるままに強制された。国家神道の廃止は、アメリカの政教分離・公定教会の否定の延長線上にあるわけだ。
橋爪大三郎氏は、アメリカの覇権はまもなく終わると見ている。その後はどうなるか?アメリカのプロテスタンティズムに由来する、しないにかかわらず「自由や民主主義」といった価値観を共有する国(日本も含めたG7の国々)と、共有しない国(ロシアや中国、イスラム諸国)のどちらが多数派となるかだが、日本のスタンスはかなり大きい意味を持つ、と氏は見る。日本が、これらの価値観をキリスト教の文脈を超えて人類に有益であることを証明できる稀有な存在だからである。
…氏の結論への私の感想は、なるほど、こういう視点は面白い、というものである。現在の中国の状況を見ていると、少なくともアメリカ的自由と民主主義の方がマシであると思うのは私だけではあるまい。ただ、この自由と民主主義が危機にさらされていることも事実。コロコロと米大統領選の逆デモクレイジー以来の不信感は依然強い。しかも親中派&対米追従派の政治家ばかりの日本がアメリカから自立し、世界のリーダーシップの一翼を担うとは今のところ思えないのである。
…マレーシアでは、イスラムが国教である。連邦憲法を見ると、宗教の自由(キリスト教や仏教、道教、ヒンドゥー教、シーク教など)は認められている。宗教税が存在するのかは分からないが、イスラムでは職業的牧師は存在しないし、国立モスクはあるが、基本、裕福な者が寄進する。一方で、非常事態宣言が発令された時は、イスラム教以外の自由は制限される。世俗国家のネイションとしての基盤はやはりイスラムなのだと考える。マレーシアは、イスラム国家でありながら、自由と民主主義という価値観を共有できている珍しい国家のスタイルをとっていると私は思っている。
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