2023年1月5日木曜日

植民地時代の教会 VA

ジェ-ムズタウン https://hmn.wiki/ja/Jamestown,_Virginia
「アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質」のエントリーの続きである。イングランドによるアメリカへの植民は、1606年のジェームズ1世時代の特許状が始まりで、オランダの植民地より南部にロンドンの出資者によるロンドン会社、北部にプリマスの出資者によるプリマス会社が植民した。まずは、最も早いロンドン会社、実際に経営にあたったヴァージニア(VA)会社の状況から。

植民した100人ほどは国教会の信徒であった。彼らは、ネイティブ・アメリカンへの布教も期待されていたが、気候が厳しく半数に減ってしまう。タバコ栽培が適していることがわかったが、地力を急速に損なうので農地を拡大していく必要姓に迫られた。よって教会を中心に近くでまとまることができなくなる。1609年に本国から知事が着任、教会での日曜日礼拝への出席が義務となった。(しかし植民者はそれどころではなく事実上無理であった。)1619年には植民地市民議会もでき、1624年には国教会設立を法で定めた。しかし、ピューリタンの(非分離派:国教会に属して内から改革を求めるカルヴァン派)もいて、また経済的に建物や牧師の給与も公費で賄えず、宗教的な情熱は冷めていく。。

1624年、ヴァージニア植民地は、経営が行き詰まり、王領となった。彼らはジェントリー階級で、農作業を嫌い、1619年以降黒人奴隷を輸入したことが功を奏して順調にタバコ栽培は拡大した。牧師は派遣されてきたが、その給与は教区の所属地から支払われたので、教区の委員たちの言うことを聞かざるをえないし、地位も低く、徐々に国教会の教義より、ピューリタンの考えがじわじわと浸透していく。ヴァージニア植民地は、拡散し、階層的で不安定な社会になっていったのである。

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