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ニューライツの中でも、穏健福音派は、回心を認めるが大覚醒運動は大きな社会変革には結びつくとは考えないし、アフリカ系やネイティヴ、女性、子供、教育のない白人が聖霊の働きだけに基づき新しい宗教的権威を求めるのは危険だと考えた。これに対し過激福音派は、大覚醒運動を、これまでの回心がチェックされ、聖霊の新しい時代、革命だと考えた。分離派の人々は一歩進んで、幼児洗礼を否定するバプティストになった。前述の幼児洗礼問題にこだわったのである。(1月6日付ブログの「半端契約」)この分離派バプティストは結局長続きしなかったが南部に強力な宣教を展開していく。
大覚醒の主役は、一般の人々、とりわけ非白人の人々であった。ニューイングランドでは大覚醒が劇的に起こって、(植民地の教会は公定教会なので新しい教会をつくるのは州の権限なのに)何百もの教会が分離した。これまでの教会はピュアではないと思われたからである。
一方、大覚醒運動による福音主義は、奴隷制反対の源泉の一つであった、多くのリーダーが主張したが、特に南部では、なかなかうまくはいかなかった。大覚醒の帰結のもうひとつは、公定教会の廃止、政教分離への流れである。大覚醒は、独立革命と関係があるのかという問いに対して、福音主義カルヴァン派が革命にエネルギーを供給したという説があるが、多くの歴史は懐疑的であ。福音主義は数ある要因のひとつに過ぎないといわれる。しかし、大覚醒運動は、既成の権威に対する大衆の挑戦であり、独立革命とスタスを同じくしていることは疑いようがない。
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