https://maonline.jp/articles/corporate-governance10?page=2 |
1629年に特許状を受けた「マサチューセッツ湾会社」によって、ピューリタン・2万人の大移民が続々やってきた。彼らはイングランドが神と結んだ契約の道から外れてしまったので、新たな契約を新大陸で結び直すために、誰の領地でもプランテーションでもない「タウン」を、「フリーマン(公民)」が契約を結んで創設した。最初に教会、法律、学校が備わり、牧師、行政職員、親、教師、農民らが協働して聖なる共和国を作り上げようとしたのである。
マサチューセッツ植民地のカルヴァン派は、普通のカルヴァン派と違う点が追加された。それは、「回心(神が直接、ある個人に対して働きかける霊的な体験)」を教会の会員資格の要件としたことである。この資格は選挙権も兼ねていた。回心体験がないと社会のまともな構成員とみなされないわけである。これは、カルヴァンの予定説に基づいている。1648年、マサチューセッツのケンブリッジで「シノッド」(教会の代表者が集まる総会)が開催された。ここで、「ウエストミンスター信仰告白」(清教徒革命時に、カルヴァン派の牧師12人が国教会改革のために作成した文書)に合わせて、厳格なカルヴァン派の信条が採択され、教会は長老派ではなく、会衆派のやり方をとることに決した。またシノッドは個別の教会対して権力を持たず精神的な指導を行い、各教会の役員に権限があることを明言した。当時、マサチューセッツ植民地の一部だったコネチカット(CT)では、回心や教会の正会員であることと選挙権を結びつけてはいなかった。すでに教会の多様性が芽生えていたのである。
この回心の問題は、幼児洗礼と関わって大きな問題となる。回心した親の子は洗礼を受けれるが、乳幼児死亡率が高かった当時、洗礼を受けずに死ぬと救われるチャンスはなく永遠の炎で焼かれると信じられていたからである。1662年、シノッドで、回心していない親の子供もキリスト教徒として正しく暮らしていれば、幼児洗礼を認めると決定した。
…この洗礼の問題について、著者の橋爪大三郎氏が本書で詳しく書いている。次回のエントリーに続く。
0 件のコメント:
コメントを投稿