2023年1月10日火曜日

アフリカ系の人々と教会

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「アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質」のエントリー第10回目。アメリカの独立革命は、1776年から83年。これまでは、主に17世紀の植民地の宗教を見てきたが、「アメリカの教会 キリスト教国家の歴史と本質」のエントリー第10回目は、アフリカ系の人々に目を向けたい。

1516年スペインのカルロス5世が、新大陸でのプランテーションのためアフリカ系奴隷をフロリダやミシシッピ河一帯に送り込んだ。1600年代、イングランドはカトリックと対抗するために奴隷制を採用、1660年にチャールズ1世はキリスト教布教を命じた。ニューイングランドで、最初にアフリカ系奴隷が改宗したのは1641年であるが、一応に奴隷主は改宗を嫌がった。そこで、植民地の立法者は、奴隷の地位はキリスト教の救いによっても永遠に不変であるという理屈を編み出した。1664年メリーランドは奴隷が洗礼を受けても身分は変わらないという法令を出し、ヴァージニアがそれに続いた。1706年までに6つ以上の植民地が同調した。

ところで、17世紀のプランテーションでは、奴隷主は多くても10人ほどの奴隷と、白人の年季奉公人やネイティブアメリカンの下僕とともに農作業していたし、奴隷は生活の糧のため日曜も働き、市場に商品を売りに行くこともあって、日曜礼拝に参加することは難しかった。同時に逃亡の可能性は十分にあったのである。1700年代後半の、大量の奴隷を監督する状況とはかなり違っていた。

ところで、スペインはフロリダに兵隊にした奴隷を配置していた。1686年、サウスカロライナの居住地を攻撃し、奴隷10人ほどを捕虜にし、賃金労働者に雇い改宗させた。1693年、逃亡奴隷で、フロリダにたどり着き、カトリックに改宗し、スペイン帝国のために戦うと宣言した者は自由の身分を与えるとした。1700年代はじめ、チャールストンから多くの奴隷が逃げてきてカトリック兵として多くの仲間を開放しようとした。1738年にはモーセ砦という根拠地ができた。

フランスは1719年に奴隷制を導入した。その2/3は西アフリカのマンディンガ王国との戦争に従事した人々で、戦闘のスキルを持っていた。フランスではネイティブは奴隷にしてはいけない決まりだった。アフリカ系の奴隷は白人より増え、イギリスとネイティブのチカソー族との戦いの中で、さらに軍事経験を積んだ奴隷たちは、逃亡奴隷の社会を作る。彼らはネイティブと組んで、フランス植民地に反撃した。1729年、ナチェ族の反乱に逃亡奴隷も参加したが敗北した。こうした流れは、ハイチでも見られた。彼らの信仰は、アフリカの宗教に、ネイティブの宗教と若干のキリスト教が混じり合っており、まじりやすいカトリックはともかく、プロテスタントに改宗する者は極めて少数だった。彼らの改宗(まだまだ一部だが…)は大覚醒運動(1740年頃)まで待たねばならない。

…いずれにせよ、植民地のアフリカ系の人々は、そう簡単にキリスト教に改宗していないことがよくわかった。逃亡奴隷の反乱の話は初めて知ったが、驚愕の事実であり、ネイティブの人々と共に多くの血が流れたことに合掌せざるをえない。

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