https://www.youtube.com/watch?v=hx_0rNdnCYk&ab_channel=tekumuse |
ところで、ネーゲルという哲学者の「コウモリであるとはどのようなことなのか」という論文以来、「クオリア(質)」が問題となった。コウモリは目を持たないが、音を発してその反射に基づいて行動する。この状況を自然科学は説明できるが、それがコウモリにとってどのように感じられているかは別問題だという話で、それを自然科学的には説明できない。この感じ方がクオリアである。デネットは、少なくとも自然科学的に説明ができたら、それがクオリアであり、それにプラスアルファしてクオリアがあるわけではないと考える。哲学は、このプラスアルファにこだわっており、神秘化してしまうので止めようというわけだ。
自然主義には、2つの立場がある。1つが消去主義者。心のあり方など内面は存在しない、あるいは全てを自然科学的に証明できるという立場である。デネットは、この心のあり方、たとえば自由を否定しない。自由な行為と思われているものをどういう風に説明するかが問題である。自由もクオリアも自然科学的に説明しようとする立場である。ちなみに、本日の画像はYou Tubeのものである。ここでは「多元的草稿モデル」とか「並列式のハードウェアをベースに非能率的な形で営まれる直列式の仮想機械」とかいう話が出てくる。短い内容なのでちょっと覗いていただけたらと思う。
0 件のコメント:
コメントを投稿