2025年12月24日水曜日

佐藤優 哲学入門 備忘録23

https://liberal-arts-guide.com/neo-kantianism/
佐藤優氏の『哲学入門』(角川書店/2022年)の付箋をつけた箇所の備忘録エントリーの第23 回目。本日のエントリーは、ドイツ観念論と新カント学派に関する内容。

カントの「物自体」は(前述のように)神の別の言い方になる。さらに「神=道徳」になる。実践理性の領域は最終的には、神がかり的になる。(P327)

…道徳の問題は、経験を超えた世界である物自体の世界の問題だとカントは、実践理性を説き、定言命法と道徳法則を説いたわけで、”神がかり的”であるという表現に妙に納得する。

シェリングの絶対者について、ヘーゲルは『精神現象学』の中で「全ての牝牛が黒くなる夜」と表現した。(P330)

…この表現、同一の絶対者から生まれながら、個々の違いが無化されることを批判して、(様々な色がある)牝牛はみんな真っ黒になるというのか、という意味である。このシェリングへのヘーゲルの批判の部分は、高校倫理でも教える。キーワードは「矛盾」である。

(新カント学派の)ポイントは、実験可能な法則定立的な科学と、実験ができない個性記述的な精神科学、あるいは人文社会科学を分け、それらを制度化したアカデミズムの中に入れたことにある。マックス・ウェーバーも新カント学派の学者であった。(P339)

神学の場合は、自然科学、社会科学、人文科学への架け橋がうまくつくれる。しかも制度された学問とよく馴染む。ところが、このような流れがポストモダン思想の出現によって混乱し、今はなんでもありになってしまっている。(P344)

時間と空間だけ自明にすれば、あとは森羅万象の事例に関して全部分類できるし、相互関連で説明できると考えたのが新カント学派である。しかし、世界にはわからないところもある。そのわからないところからやって来るのが道徳で、どうして平和を実現しないといけないのか?そうでないといけないからだ。なぜ人は愛さねばならないのか?そうなっているからだ。という組み立てになるのが新カント学派で、基本的に伝統的なフレームは維持しながら自分の議論を展開するのである。(P346)

神学は、インテリジェンスの語源であるインテレタトゥス(intellectus:生き残るための知恵といったタイプの知恵)の方が、ラチオ(ratio:論理的な知恵)より上にくる。これが他の学問を研究している人との違いである。インテレタトゥスがあるかどうかは、アプリオリ(=先天的に)に神に貰ったもので、ダメな者はダメだ、というのが神学的考えであり、カントとは違うのである。

…19世紀後半から20世紀前半に、ドイツを中心にヨーロッパ講団哲学(大学で教えられる哲学)の主流となった新カント学派について、佐藤氏は、実にうまく紹介してくれている。ありがたい講義だった。これで、第3日目の講義分まで終わったわけである。

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