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佐藤氏は、5や2は、多くの人数に対し、一部に魚やパンを持っていた者がいることの象徴的な数で、食料を「持つ」人が供出した人が出て、他の「持つ」人も供出することで全員に分け与えることが出来たという話(貧困問題は再配分によって解決できるという話)だとしている。弟子たちが金銭で解決しようとしたことや、弟子たちが大勢の信徒たちよりも上であると思っていたことへの戒め、さらには本気になって知恵を出せば、できることを示しており、これこそが奇跡であるとの教えであると語っている。(P244-5)
この「持つ」者とは食物だけのことではない、知識もそうであり、カネでたとえば予備校に行ってアウトソーシングして身につけるのは、一見簡単な解決法に見えるが、それはキリスト教的な解決法ではない。知恵を持つものが供出することで解決するのが、キリスト教的な考え方、一種の共同体論である。(P245)
…ちょうど神学生への講義の中間地点・後半戦の始まりで語られたこの有名な話。プロテスタント神学から見るとこうなるのか、なるほど…と思うのである。ちなみに、今日の画像はこの話をシンボル化したものだが、上記のX的な十字架、先日の学院の追悼ミサの際、神父が羽織っていた背中にあったものなので、この画像を選んだ次第。



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