![]() |
| https://scrapbox.io/hitorigakusai/ |
淡野氏のテキストより「ベーコンの「経験」の中には、単なる外的経験ばかりでなく、超自然的な対象を把捉すべき内的経験も含まれており、それが”上なる神から受ける光”である限り、彼の思想の中には伝統的な教会信仰と近代的な科学研究の萌芽が混在している。」これに対し、佐藤氏は、この”上なる神から受ける光”という言葉が出てくることで、よくフリーメーソンと一緒にされるが、近代では”光”は啓蒙主義のことだといえる、としている。(P248)
これも淡野氏のテキストより「(ベーコンの)劇場のイドラの最も強力なものは哲学的伝統であり、(中略)一般にあらゆる独断的哲学の根本特徴は、基礎づけられない仮定と主張とにある。」これに対し、佐藤氏は、神学とはすべて独断論である、とコメントしている。(P250)
さらに淡野氏のテキストより「ヒュームはいかにもイギリスの経験主義者らしく、”習慣は人生における偉大な指導者であって、これのみが我々の経験を有用なものたらしめる”と揚言している点をもあわせるならば、ヒュームは単なる懐疑主義者というよりは、むしろ実証主義者という方が、いっそう適切ではないかと思われる。」ここでは、佐藤氏は、目の前にあるものを見ていくこと、今ある事柄を追認していくことがポジティブという考え方である。目の前にあるものに理屈付けしていく必要があるから、実証主義というのは保守的になる。自由主義神学の先駆者・シュライエルマッハーは『神学通論』の中で、神学とは1つの実証的な体系知であると述べていることを紹介している。(P265)
デカルトは、ある意味で「ゲシュタルト転換」を企てた思想家(=近代科学の規範としての記号代数、光学、機械論的医学を創設した。)と規定するするのが正しい、と岩波哲学思想辞典にあることについて、佐藤氏は、この「ゲシュタルト転換」をペットボトルで説明する。ペットボトルをグジャグジャに潰しても、ペットボトルは元の姿を想像できるのでペットボトルである(=これがゲシュタルト)が、切り刻んで断片にしたら、わからなくなる。これが「ゲシュタルト転換」で、ゲシュタルト心理学(画像参照)から来ている。いい友人だと思っていても、急に嫌な奴に変わったりするのが「ゲシュタルト転換」である。(P268)
…イギリス経験論のこれまでの思い込みを少しずつ崩してもらった話が多い。また「ゲシュタルト転換」なかなか興味深い話だった。



0 件のコメント:
コメントを投稿