ヘロドトスの『歴史』に出てくるペルシア王の話。死者を仮想にするギリシア人と、死者の肉を食べる習慣を持つカラティア人(インドの種族)を呼び、両者にどんな報酬を与えれば、それぞれ異なる習慣である火葬や死者の肉を食べるかと聞く。すると、両者ともどんな報酬をもらってもできないと答える。ギリシア人の主張は我々にも十分理解できるが、カラティア人は、火葬すると全て消滅して、その人は無になってしまう。こんな悲しいことはない、死者の肉を食べることで、その人が自分の中で生き返ると話す。
この話を元に、講座参加者は討議を行うのだが、この文化相対主義は、レヴィー=ストロースを彷彿とさせる。実際、国連では植民地主義に対する批判や民族自決の考えが非常に強かった。西洋文明の基準で未開社会を判断・評価することはできないという意識が主流であったのだが、1987年、独立以来消滅したとされていたインドのサティー(寡婦殉死:夫をなくした女性が夫の亡骸とともに焼身自殺する慣行)が起こり世界的なニュースになった。この事件では、結婚して8ヶ月にも満たない女性が、病死した夫の遺体とともに生きながら焼かれた。当初は妻の意思とされていたが、実際には大量の麻薬を飲まされ、さらに逃げ出そうとしたところを4000人以上の群衆が見守る中、竹竿でそれを拒み、叫び声はドラムの音でかき消されたという。これに対し、国連はサティーの禁止をする。以来、文化相対主義は一気に下火になる。
…この文化相対主義は非常に大きな問題を投げかけている。欧米の人権思想は。完全なる正義であるのか。非常に難しいところである。実は、現在世界が抱える大きな問題なのである。
…国際理解教育には異文化理解というカテゴリーがあり、私などは文化相対主義の立場を取ってきた。一方で教育界では人権思想の徹底化が進んでいる。まさに、答えのない世界に立ち向かっているわけで、この本をもう少し読み進めてから、またエントリーしようと思う次第。
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