2013年3月29日金曜日

佐々敦行の新刊文庫本を読む。

年度末である。16:30から今日でご退職になる事務長の離任式が行われた。会議室で職員への挨拶の後、正門前で野球部やバスケットボール部などの生徒たちが参集して、校歌とエールで事務長を送りだしてくれた。体育科への風当たりがきつい昨今だが、今時こんな熱い離任式ができる公立高校が全国にいくつあるのだろうか。本校の桜は、ほぼ満開。花曇りなのが残念だが、懸命に本校に尽くしていただいた事務長にふさわしい門出であったと思う。42年間、本当にご苦労様でした。

さて、今日の本題である。佐々敦行の『日本赤軍とのわが「七年戦争」』(文春文庫/本年3月10日第1刷)を読み終えた。佐々氏の著作はほとんど文庫本だが読んでいる。国家的危機管理について書かれたものが多いが、教育現場でも役に立つ。こういうノンフィクション系の本を読むということは、著者の貴重な経験の追体験的な行為でもある。この本は、よど号ハイジャックから始まる日本赤軍の話である。いくつか面白い逸話が書かれていたので紹介しておきたい。

よど号事件の際、犯人が長い機内でアジ演説をした。あの「われわれわぁ~」というやつであろう。この中で「ハイジャック」という語が使われたらしい。終わりに「何か質問は?」と言ったところ、「ハイジャックって何ですか?何語でスペルは?」という声があがり、犯人は答えに窮したそうだ。すると、聖路加国際病院の理事長が「君たちは学生だろ?ハイジャックをやるなら、その意味やスペルぐらい勉強しておきなさい。それは英語で昔英国で起きた馬車を狙った路上強盗のことだよ。スペルは、H、I、J、A、C、K」と講義したのである。犯人は「どうもすみません。」と答えたそうだ。…いい話だと思う。まさに硬骨漢。

このテルアビブ空港乱射事件の時、犯人は自爆するのだが、その方法が凄い。顎に手榴弾を両手であてがうのだ。顔、指紋を同時に判別不可能にするためのものらしい。もちろん考案したのは日本赤軍ではなく、パレスチナゲリラであるという。なんとも凄まじい。なおこの時の日本大使は都倉さんという人で、その息子が都倉俊一。ピンクレディーなどの曲で有名な作曲家だ。彼もイスラエル出国の時、日本人だという理由で厳しい身体検査をされ、パンツまで脱がされたという。
…私も妻も昨年のイスラエル出入国では、そういう歴史があるのでずいぶん緊張したのだった。今の若い人は知らないと思うけど。

1988年、G7のトロントサミットで、サッチャー英首相が、ハイジャック対策で「ノン・コンセッション決議」(テロリストと交渉しない、絶対に妥協しない、獄中の犯人釈放と身代金支払いに応じない)に続いて、「ノン・テイク・オフ」決議を提案する。サミット国の主権の範囲内で起こったハイジャックは、ハイジャック機を飛び立たせて他国に問題解決をたらい回ししないこと、自国政府の責任において解決し、他の国に累を及ぼさないことという内容である。日本の三木・福田政権の一連の弱腰に対して批判であった。これに賛成したのは米国、英国、カナダ。反対はフランス、西独、イタリア。真っ二つに意見が割れた。当時の総理は竹下登。佐々氏はご下問を受け、次のように答えた。

「サッチャーに賛成すべきです。長年ハイジャックを担当してきた私としては、総理にキャスチングボートを行使して『ノン・テイク・オフ』を国際公約としていただきたい。クアラルンプール、ダッカの恥を雪ぐべき時です。歴史的に見ても、日本はアングロサクソンと組んだ時栄え、独・伊と組んだ時亡びました。」…竹下首相は一笑し、後に賛成票を投じた。

私も、このアングロサクソン云々は、佐々氏の歴史に残る名言(迷言?)だと思う。(笑)

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