ピーター・オルワ氏 |
今日のニュースでは、ケニヤッタ副首相(彼は初代ケニヤッタ大統領の息子である。また前回の暴動に際して疑いを持たれており、国際刑事裁判所で係争中である。)が、オディンガ首相(前回もキバキ元大統領と闘った。)を50.03%(過半数を越え、決選投票を必要としない。)の得票で勝利したらしい。ただ、オディンガ陣営から一部の開票に改ざんが行われたとして、やり直しが要求されているので、またまた暴動が起こるのでは?と市民は戦々恐々としているらしい。
http://sankei.jp.msn.com/world/news/130309/mds13030911540003-n1.htm
この大統領選、ケニアという国のエスニックグループの構造を抜きには語れない。ケニアは、ケニヤッタ氏やキバキ氏の所属するキクユというエスニックグループが最大グループである。と、いっても人口の22%くらい。エスニックの分類自体が微妙なものなので、様々な説があるが、ケニアはわりと多くの少数民族の集まりだといってよいと思う。ちなみにキクユ人は、パントゥー語系に属するキクユ語を使う。一方、オディンガ氏はルオというエスニックグループに属する。こっちは、ナイル語系のルオ語である。
昔、ピーター・オルワ氏(10年2月16・17日、3月22日、5月11日付 「追想ピーターオルワ氏のことⅠ~Ⅳ」等参照)が前任校に来てくれた時、彼のアフリカン・バンド(ピースボートで公演していた。)を3人連れてきた。ピーター・オルワ氏はルオ人。キクユ人、カンバ人のメンバーもいたと記憶する。
生徒の「ケニアの民族について教えて下さい。」という質問に、みんなで並んで、「ね。同じケニア人といっても、かなり顔つきが違うでしょ。」と説明していたのを思い出す。日本人は、こういう異文化共生的な視点がどうも苦手だ。ピーターによると、「日本人と白人以上に違う。」とのこと。そう、キクユ人とルオ人の溝は、それくらい深いものなのだ。
ピーター・オルワ氏は、ケニアではそういうエスニックグループを、ある意味超越していた人だと、いまさらながら思う。旅行業をやっていた関係で、自身の出身であるルオ語、ケニアの共通語であるスワヒリ語はもちろん、英語、日本語のほかに、キクユ語もしゃべれたし、他の民族語、たとえばマサイ語なんかも簡単な日常会話くらいできたのではないかと思う。
だが、ピーター氏のような人は稀である。ピーター氏は、ルオ人の成人のしきたりである前歯を抜くことが嫌で、大学に進学し、ナイロビに出てきたと言っていた。(笑)と、言いながらルオ人の誇りを持っていたし、ケニアの伝統も重視していた。ケニアをそしてアフリカを心から愛していたのだ。また彼の命日(3月22日:これは私の誕生日でもある)が近づいてきた。
普通のケニアの人々は、エスニックグループに深く関わっている。情の経済で、都市生活者も故郷と深く繋がっている。民主主義のシステムは定着しているが、個人に立脚しているとは言い難い。しかも、各エスニックグループが、日本では想像もつかないほど違いがある。スワヒリ語が、それを繋いでいるが、小学校も出ていない(すなわちスワヒリ語が不自由な)人もいるのが現実だ。前回の暴動の主役も、そういう人が多かったのではないかと私は推測している。暴力に走るためには、無知という資質、明日が見えない貧困という状況が必要である。日本では、ケニア国内の民族対立と簡単なコトバで言い表されるが、私の知っている浅く狭い知識だけでも、様々な問題が内在されていることがわかるのだ。
もし、ピーター・オルワ氏が生きていたら、今回の選挙結果についてなんと言うだろう。案外、「ケニア人も今回ばかりは、おとなしくすると思うね。」と楽天的な意見を言って、ニカッと笑うような気がするのだ。そうあって欲しいという願いも込めて…。
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