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オシフィエンチム駅 |
クラクフから、普通列車でオシフィエンチムに向かいました。後で調べてわかったのですが、バスで向かうと直接アウシュビッツ強制収容所のビジターセンター前に着くらしいのです。息子夫婦との打ち合わせの中で、鉄道料金はツアー代金に入っているし、鉄道も大好きな私は鉄道で行くことを主張しました。そもそも収容者も鉄道で運ばれましたし、そういう意義も含めての話です。おそらく収容者は外の景色も見れなかったと思いますが…。
ちなみに、この鉄道料金、ワルシャワ=クラクフ間も含め、ユーロ建てで、駅で直接買うより、かなり割高であることがわかりました。まあ、安心と手間賃込故に当然のことだと思います。
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ユダヤ文化センター |
息子の提案で、早めに出て、オシフィエンチムの街のユダヤ文化センターに、先に行くということになりました。このオシフィエンチムの街にも、昔からかなりユダヤ人が住んでいたようで、1940年の調査では、67.9%(7613人)もいたようです。かなり街の発展に貢献していたようです。ナチによって、20あったシナゴーグは1つを武器弾薬保管庫としたものを除いて破壊され、工場や商店は非ユダヤ人に明け渡したうえで、多くはアウシュビッツ強制収容所建設のため駆り出され、また一部は近隣のゲットーに送られ、結局各地の強制収容所・絶滅収容所に送られたということです。
この唯一残されたシナゴーグが、ユダヤ文化センターとなっていました。当然、今は使われているとは思えません。本棚もシナゴーグとは思えないほどガラガラでした。本来ならタルムードなど宗教書がもっとギッシリと並べられているはずです。祭壇にもトーラーらしきものはなさそうでした。あまりに悲しいシナゴーグでした。
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ユダヤ文化センター内の修復されたシナゴーグと展示室 |
旧市街にも足を運びました。小さな広場があり、そこには観光地ではない生活感があふれています。ポーランドは、あまり英語が通じません。それが残念です。聞きたいこと、話したいことはいっぱいあるのですが…。
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オシフィエンチムの旧市街 |
曇天であったことにも意味があるような気がします。旧市街で昼食をとった後、いよいよアウシュビッツ強制収容所へ向かいました。
このオシフィエンチムの街については、詳しい日本語のブログがあることを帰国後発見しました。興味のある方は是非覗いてみてください。
http://blog.goo.ne.jp/hanamamagon/c/9ce91ff7aa0becdd309919d7868255df
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