2015年8月3日月曜日

波蘭ユダヤ民遺蹟巡礼 5

ビルケナウ絶滅収容所 死の門
ビルケナウ絶滅収容所。この名もブジェジンカ村を、ナチがドイツ名に改称したものです。ここの「死の門」は圧倒的な重圧感があります。単線の線路がこの門をくぐり、その先で3車線となります。ここに、収容者を満載した貨車がつき、軍服姿の医者によって、25%が労働者が選ばれ、残りは林の方へ向かわされました。そこには第二・第三クレマトリウムと呼ばれるガス室と焼却炉へと続く道でした。これらの施設は開放前にSSによって爆破されました。現在はその残骸がそのまま保持されています。

ビルケナウはアウシュビッツ強制収容所よりはるかに広大です。死の門からひたすら線路脇を進みます。左の方はレンガ造りの建物(BⅠa/BⅠbと呼ばれていた)、右は木造のバラックの建物(BⅡa~fと呼ばれている。多くは焼け落ち、暖炉しか残っていない。)が見えます。

降車場(前述の生死の選別場所)から、クレマトリウムの方に進みます。その遺跡で手を合わせた後、死の門に向けて戻り、木造の収容所内を見学しました。ここビルケナウでは、アウシュビッツより、はるかに多くの方が亡くなっています。その重い事実が足どりをますます重くします。

ビルケナウでも多くの写真を撮りました。強烈な印象を受けたものを列記したいと思います。
当時の収容者を運んだ貨車
降車場跡 ダビデの星が花輪で作ってありました。
第二クレマトリウム跡
第二クレマトリウム跡
BⅡ収容所跡 わずかに暖炉跡が残っています。
BⅠ収容所跡 こちらはレンガ造り
BⅡ収容所跡 焼け残った木造バラック
BⅡ収容所内の非人間的なトイレ施設
BⅡ収容所内部。ワラがひかれていたそうです。
アウシュビッツ強制収容所・ビルケナウ絶滅収容所についての、私の抱いた思いについては、少し時間を置いてエントリーしたいと思います。

追記:さきほどTVで、チェコのユダヤ人の子供たち669名をイギリスに里子として脱出させたニコラス・ウィントン氏の話を見ました。子供たちが二度と会えなかった親たちをイメージさせる強制収容所の白黒映像が映るたびに、これまで以上にはるかに間近に迫るものがありました。妻とともに涙してしまいます。

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