産経の同WEBより |
まずは、日本が戦争に負けすぎたこと。普通、損耗率30%くらいで、白旗を上げるものだが、日本の場合100%までいって、歴史上類のない負け方をしたこと。ついで、戦争責任の追求は、同じ国の人間がすることなのに、日本では敗戦を自己採点する帝国臣民はいなかった。外国に戦争責任を追及され、国民に軍国主義を罵倒されるという状態になる。
というのも、ドイツには反ナチ勢力がいてヒトラー暗殺を企てた。イタリアでもパルチザンがムッソリーニを処刑した。フランスもドゴールがいた。だから、ドイツはナチに、イタリアはファシストにフランスはヴィシー政権に、すべての「穢れ」を押し付けるということが可能だった。しかし、日本にはそういう勢力がなく、一億総懺悔(日本人全員がなんらかのカタチで加担したのだから、誰の責任でもないという話)するしかなかった。
中韓の謝罪要求が終わらないのは、高市早苗みたいに「私には責任はないけれど、文句言われてうすさいから賠償金を払う。」みたいな高飛車な態度を誰も「謝る」とは呼ばないからである。ドイツの大統領など、「ナチスがひどいことをしてすみません。」と70年間占領地の国民にひたすら謝り続けている。被害者もぼちぼち、許していいかという気分になりつつある。それくらい(謝るというのは)時間のかかる仕事である。ドイツの大統領もやっていることなんだから、文句を言わない。
…このところ、内田先生の話が多いが、いつもながら実にわかりやすい。この損耗率100%という俯瞰は、実に示唆的だ。また、ヨーロッパに存在した反政府勢力が日本に存在しなかったこと、これは多分に天皇制に関わってくる。いよいよ2学期が始まるのだが、日本史演習の教材つくりに大いに役立ったのだった。
http://www.sankei.com/gqjapan/news/141111/gqj1411110001-n1.html
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