2015年8月7日金曜日

波蘭ユダヤ民遺蹟巡礼 8

夕暮れ迫る プワシュフ強制労働収容所跡
ポーランド、最後のユダヤ民遺跡巡礼は、息子の案内によるプワシュフ強制労働収容所跡でした。シンドラーの工場から少し離れた場所にあります。シンドラーは、ここに入れないよう、雇用していたユダヤ人を自分の工場内に収容所のような施設をつくり匿ったわけです。

強制労働収容所跡といっても、記念碑があるだけで、事情を知らないと(事実私は寸前まで知りませんでしたが…)芝生のちょっとした丘のある公園という感じです。当然、地球の歩き方などには載っていません。息子に言わせると、「ホロコーストの跡を回るというのは、こういう地味な場所を回ることなのだ。」ということでした。

この収容所、実は冷酷な殺人鬼のような所長のために、多くのユダヤ人が殺されています。毎朝彼は、ライフルで収容者を狙撃して楽しんでいました。彼の嗜好のために500人以上も死んでいるのです。アウシュビッツでもビルケナウでも、多くのユダヤ人が命を落としましたが、ここで所長のライフルで狙い撃ちされたユダヤ人たちには、違う種類の哀悼が必要な気がします。
記念碑
というのも、帰国してから今週はひたすらセンター倫理の補習を毎日5時間程度、個人授業でやってきました。センター試験では、最近フランクフルト学派がよく出題されます。その第1期の中心人物であるホルクハイマーは、アメリカへ亡命したユダヤ人で、「啓蒙の弁証法」「道具的理性批判へ向けて」などで、アドルノと共にナチの反ユダヤ主義を批判的に論じた人物です。今回、ポーランド行を終えて、その実感からか、今まで以上にうまくホルクハイマーのいう道具的理性を解説できたと思うのです。デカルト、そしてカント、フィフテ、シェリング、ヘーゲルと繋がる大陸合理論・ドイツ観念論の理性主義。理性の体系。ホルクハイマーは、この理性への信仰を断ち切るのです。すなわち、ナチによって、理性の批判的側面は失われ、与えられた職務を全うする手段としての理性(道具としての理性)に堕してしまったと説くのですのです。

SSの中央で組織的、かつ効率的なユダヤ人虐殺計画を練ったアイヒマンなどは、ホルクハイマーの言う道具的理性による職務遂行上の殺人者であるといえます。アウシュビッツのルドルフ・ヘス(イギリスに亡命したヘスとは同名ですが別人です。)所長も、道具的理性による職務遂行で殺人を指揮していたといえると思います。でないと、ガス室・焼却場の300mそばに家族との住居を構えれるはずがないと思うのです。(道具的理性によるものだからといって許されるものでは当然ありませんが…。)

ですが、このプワシュフ強制労働収容所の所長であったゲートは違います。道具的理性によるものではなく、単なる享楽による殺人であると私は思うのです。これは彼個人の異常な資質によるものなのでしょうか。
シンドラーの工場博物館にて SSの帽子の展示
人間をここまでに変える思想というものの怖さと、一般の人間が巻き込まれ道具的理性に操作されていく危うさを強く実感でき、フランクフルト学派を実感を伴って教えるようになれたことこそ、今回のポーランド行の最大の成果かもしれません。

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