2015年8月1日土曜日

パヴィアク刑務所での一考察

ワルシャワのパヴィアク刑務所
ワルシャワでは、ユダヤ歴史博物館近くのパヴィアク刑務所にも立ち寄りました。しかし残念ながら、時間があわず入館はできませんでした。この刑務所については、7月15日付のブログで紹介させてもらっています。ナチがポーランドを占領後、第三帝国の奴隷化政策を推進するために、指導者層や反ナチの政治犯をここで処刑していきました。その数、およそ12万。そのうち37000人が射殺され、6万人は強制収容所に送られます。ワルシャワ蜂起の際に、収容者は全員射殺され、爆破されてしまいます。

ところで、以前から気になっていたことがあります。この刑務所には、カトリックの神父も多く収監されました。アウシュビッツ強制収容所でもコルベ神父(昨年長崎で彼の様々な展示を見ました。)が、殺された地下房を見学しました。ヒトラーやナチは、カトリック教会、あるいはキリスト教をどう考えていたのでしょうか。

WEBを中心に調べてみると、およそヒトラーは、まずユダヤ人問題を宗教問題として捉えていないこと、あくまで人種問題と捉えていたことが重要であるようです。つまり、ヨーロッパに多く見られるキリスト教徒から発する反ユダヤ主義と同列ではないわけです。

ヒトラー自身は、イエスを物質主義的なユダヤ人に対して精神主義的な敵対行動をとった戦闘者・殉教者と捉え、反ユダヤのアーリア人のヒーローと考えていました。それに対し、パウロが歪曲させたキリスト教団をローマ帝国のアーリア的な精神主義や寛容の破壊者とみなしています。ヒトラーは、イエスを憎んでいたのではなく、キリスト教組織(教団)を憎んでいたといえます。

さらに、ボルシェビキズムをキリスト教の私生児、ユダヤ人の生み出したものとしています。ヒトラーは、ボルマン覚書で、こう述べています。「昨日の扇動者はパウロだった。今日の扇動者はモルデカイだ。サウロ(パウロのユダヤ名)は聖パウロになった。モルデカイはカール・マルクスである。」
*モルデカイは、バビロン捕囚後のアケメネス朝ペルシャの支配下でユダヤ人虐殺を賢女エステルとともに阻止し、アダルの祭りの故事のもとになった人物。(エステル記)

このように、ヒトラーはボルシェビキと同様にキリスト教団を極めて嫌悪していたようです。ただ、政治的にはキリスト教団をすぐ敵に回す愚を去け、「積極的キリスト教」政策をとります。前述のように、ユダヤ人が書いた部分(旧約聖書の全てを含む)を却下、イエス=キリストをユダヤ人であることを否定、カトリックを根絶し、プロテスタントと国家社会主義者を1つの教会に統合する、というものです。結局、ナチはプロテスタントの諸派を直接抑えましたが、カトリックのバチカンまでは直接手を出せないまま、政教協定を結び、反ナチ的でなければ干渉しないとしたわけです。
ホテル近くの教会 お約束通り、左に天国の鍵を持ったペテロ、右にパウロの像がありました。
一方、ポーランドのカトリック教会は、10世紀にドイツのオットー1世のキリスト教化を名目化で支配を強めようとしたのに対し、ミエシェコ1世が先手を打って、ボヘミア王の娘を妻に迎え洗礼を受け、国をローマ教皇庁に寄進したことに始まります。16世紀の宗教改革時には、貴族層にカルヴァン派が広がりますが、17世紀には、西のプロイセンのプロテスタント、東のロシアのオーソドックスに挟まれ、民族のアイデンティティとしてのカトリック教会信仰が強まります。ポーランドのカトリック教会はこのような歴史的状況下、ナチス占領時代にも民衆の側につく姿勢を貫くわけです。当然反ナチ的な存在となります。

ポーランドのカトリック神父が、ナチに多く虐殺された理由。ようやく納得がいきました。

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