http://www.nianw.com/zt/2011-7-7/ZT_389.htm |
8月初旬から始めて、(ヘブライズムはすでに世界史Bでやってあるので割愛)ギリシア哲学、大陸合理論とイギリス経験論、カント、ドイツ観念論、ヘーゲルという「西欧哲学の木」の幹をやってから、功利主義やコント、スペンサーなどの枝をやって、反理性的なマルクス主義、生の哲学(ショーペンハウエル・ニーチェ)、実存主義(キルケゴールからサルトルまで)といった上の葉を教えたあと、ヴィトゲンシュタイン、フランクフルト学派、構造主義、フーコーやドゥルーズ、デリダといったポスト構造主義まで午前・午後の連続講義で一気に教えた。今週からは午前のみに軽減。(英語の補習があるからである。)インド哲学から仏教、日本仏教史(鎌倉仏教まで)、さらに中国思想と進んできた。今日は孔子・孟子・荀子をやったので、来週は朱子、陽明学から始める。その後残るは日本思想である。
まずは、理解することが大事。記憶は11月以降でいいと言ってある。11月以降から問題集をやりながら記憶し、間違いを正していく。
今日の補習で、こんな設問をしてみた。孟子と荀子の相違、性善説と性悪説についてだが、ソクラテスやサルトルは性善説か性悪説かという問いかけだ。無知の知を説くソクラテスは、哲学の原点・ゼロに立っているがどちらかといえば性善説。実存は本質に先立つというサルトルも、同様本質は自らつくり、その可能性を信じているので性善説…。なかなかやるではないか。正解はないのだけれど、なかなか論理的である。
ところで、今日は4組のOBが訪ねてきた。公務員志望のK君である。試験に向けて、政経や世界史の復習をしてほしいとのこと。大筋を今一度語る。こういう大筋を語ることが、実に難しい。こちらの理解度が反対に試される。(笑)幸い、私の頭脳は細かい事項の羅列より、大筋をズバッと説くのに向いているようだ。
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