M・ウェーバーは、この両者を区別して、西欧的な資本主義はピューリタンによって形成された、20世紀にさしかかると、アメリカではユダヤ的資本主義のような貪欲な金銭的利益を求める資本主義に変化しつつあるとしたのだが、ゾンバルトは、一貫して資本主義を牽引してきたのはユダヤ的資本主義であったと批判した。この2人の論争は、あくまで20世紀初頭の話で、ナチのホロコーストもイスラエル建国もロシア革命もアメリカのユダヤ゙系移民の活躍も知らない時代の話である。
では、両者の論争の主題となったユダヤ的資本主義とは何か?ゾンバルトは、ユダヤ人の持つ「バーリア性」(固有の国や土地や故郷を持たず、他国や他の場所に寄宿する性格)に注目した。彼らは、世界中にディアスポラしつつも、そこで仕事をし、政府の要職にも入り込む。またネットワークを駆使し、情報を伝達できる。さらに伝統的な仕事につくことができない故に世界中をつなぐ自由な金融業・商業活動に向いていると主張した。
最初からボーダーレスの空間に置かれた彼らは、特定の場所や文化に縛られない貨幣を駆使し、禁欲的な生活態度と抽象的・合理的な思考に対する愛着もまた有利に働き、合理的な金融(=貨幣が貨幣を生むという最も純粋な資本主義)を確立した、というわけである。
M・ウェーバーは、ある場所に根づき、ある種の倫理的精神をもち、地縁的な人間関係を基礎にした組織による産業活動(=モノの生産・市民的資本主義)と、ユダヤ的な金融活動(=カネの動き・ユダヤ的資本主義)を区別したが、著者はこの類型は現代の経済学が見失った極めて大事な論点だ、としている。
現代のグローバリズムを眺めた時、我々は圧倒的なユダヤ的資本主義の活動に目を奪われる。ヨーロッパ各地から故郷を捨てて新天地にやってきたアメリカこそが巨大な「バーリア」の集合体であり、合理的精神と科学・技術による富と自由の無限拡張を求めて進んでいるとも言えよう。確かなことは、ユダヤ的であろうとピューリタン的であろうと、西欧の生み出した資本主義は、旧約の一神教的宗教意識を背景にしていることである。
…今日のエントリーに出てきたユダヤ人のネットワーク性について、息子がユダヤ教の研究発表をパリの学会で行った際、エレサレムの大学からパリの見ず知らずのユダヤ人に連絡を取ってくれて滞在できた、という話を聞いたことがある。ロスチャイルドのような国際金融資本だけではなく、ユダヤ人の中に今も草の根のネットワークが厳然としてあることを記しておきたい。
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