![]() |
https://ameblo.jp/25juqrdlo/entry-12609568698.html |
中世において、教会が行政権や徴税権を握り、行政機能や秩序維持の中心的な役割を担っていた。都市の中心は教会であり、荘厳な建築が競われた時代でもあったが、その背景には好景気があった。12世紀以後の貨幣経済の浸透は、カトリック教会の利子の徴収禁止(利子は時間によって生み出されるが、神の所有物である時間を人間が奪い取る行為だとみなされていた。)を空文化していく。
1179年の第3回ラテラン会議では、利子を取る者は破門、キリスト教徒としては埋葬しないとされた。しかし1215年の第4回ラテラン会議では、支払期日を守らない債務者によって債権者に損害が発生した場合は、ペナルティーとしての延滞利息=利子が認められた。これが教会法の抜け穴として利用されることになる。この会議で認められた利子の上限は33%。この時代、債務者の逃亡や破産が頻発していたので33%とういう高利率になったようである。海洋交易は特にリスクが高く、ヴェネチアやフィレンツェでは、年率になおすと100%~200%の利率が一般的だった。
中世最大の神学者・トマス・アクィナス(上記画像参照)は、第4回ラテラン会議の決議を踏まえ、資金返済の遅延による損害賠償について、債権者と債務者が協定することは正当な権利であると主張し、事実上利子徴収を正当化した。この第4回ラテラン会議とトマス・アクィナスの論理を利用して、人々は極端に短い返済期間を設定し、それ以降の期間の返済の遅延利息というカタチで利子を徴収を一般化した。
それ以外にも為替決済を利用する方法(異なる貨幣で貸出と返済を行い、その為替差益を事実上の利子とする。)や、借用証書に利子分をあらかじめ加算して記入する方法、資金貸付の便宜に謝礼と称して利子を払う方法などがとられた。
1517年、第5回ラテラン会議で、カトリック教会は利子徴収を解禁する。この時の教皇はレオ10世。カネで教皇の座を買ったといわれるメディチ家の次男である。ちなみに宗教改革後、カルヴァンは利子を認めたので、プロテスタントも同様になった。
…ユダヤ教徒も利子を禁じられているが、異教徒に対しての利子は認められていたので金融業を先行することができた。イスラムでもクルアーンで利子は禁止されている。不労所得と見なされており、汗水流して神の作った自然や資源を加工しなかればならないという基本理念がある。搾取と貧富の格差が拡大する原因でもある、というのが理由。ただし、スクークというイスラム金融の仕組みがあり、事実上の利子は存在する。商品販売益やリース料と捉えたり、債権者が債務者の事業に出資し得られた利益から利子分の分配を受けるなどの方法が取られている。一神教の世界は、律法やシャリーアといった神定法、さらに教会法との兼ね合いが大変だったわけである。
0 件のコメント:
コメントを投稿