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旧約聖書(レビ記)にある「隣人を愛せよ」の「隣人とは誰か?」という律法学者の質問に、イエスがこの喩え話をして、隣人愛の精神の象徴として語った内容として知られる。ユダヤ人の旅人が追い剥ぎにあって衣服を奪われ重症を負わされた。ところが通りかかったユダヤ教の祭司さらにレビ人(ヤコブの子孫で、祭司の一族。モーセもレビ人である。)は、血を不浄なものとする律法にしたがって見て見ぬふりをした。結局助けたのは、ユダヤ人が軽蔑し敵視する隣国のサマリア人、旅人を介抱し宿屋に運び、宿屋の主人に金を渡して世話を頼み、足りない場合は帰路に支払うとまで言うのである。ユダヤ教の選民思想から生まれる異民族との抗争をイエスは革命的に批判したわけである。
ところで、サマリア人とは何者なのかというとこれがかなり複雑である。現在は、イスラエル北部・サマリア地方に住むユダヤ教の一派として認められている”サマリア教”(主な相違点は聖地をエルサレムではなく、ゲリジム山に置いていること)を信奉する人々で、イスラエル王国・ユダ王国の滅亡の歴史の中で、異教徒ではないものの、都合によってユダヤ人と同族だと主張したり、他からの移住者と主張したり日和見的だということで嫌われていたようである。現存するが、人口は1000名にも満たないそうだ。上記画像の絵画は、ゴッホの作品。左側と、道の奥に、見て見ぬふりをして立ち去る2人が描かれている。この作品は、ゴッホが伝道師としてあまりに献身的であり過ぎたため破門され、精神病院内で描かれた。ゴッホは牧師の家に生まれ、死んだ兄と同じ名前をつけられている。このことが、カインコンプレックスの少し違うカタチに変化したようである。やがて「宗教は移ろい神は残る。」という言葉を残したゴッホは、行き場を失った宗教的情熱で描き続けた。しかも、生き急いだ挙げ句に最後は教会で葬儀も行ってもらっていない。自殺を教会は禁じていたからである。良(善)きサマリア人たらんとした彼の最後は哀れであると著者は記している。…同感である。
聖☆おにいさん・第4巻の表紙にも、この逸話がイエスのTシャツに描かれている。
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