2024年10月23日水曜日

「キリストの嘲弄」

https://www.meisterdrucke.jp/artist/%C3%89douard-Manet/4.html
久しぶりに、 「名画で見る聖書の世界<新約編>」(西岡文彦/講談社)の書評の続きを記したい。イエスの受難のところである。逮捕にあたったのは、ローマの兵士ではなく、神殿付きのユダヤの官吏で、逮捕理由は神殿に対する不敬、旧約の律法の冒涜などであった。まず大祭司カヤバの家に連れて行かれる。ここはユダヤ法院も兼ねていたのである。ここで嘲弄され、死刑判決が出る。(画像は)マネの「キリストの嘲弄」)とはいえ、ユダヤ法院には死刑を執行する権限がなかったので、ローマ総督ポンテオ・ピラトの家に連行される。

妻からも「あの義人には関わらぬように」との伝言を受けていたピラトはイエスの助命を試みる。死刑にするほどの理由が見つからなかったからである。しかし、取り囲んだ民衆の声に押され、「この人の血について、私には責任がない。お前たちが自分で始末するがよい。」と言い、手を洗うのである。マタイの福音書には、有名なイエスの血の責任を子孫の代まで引き受けるという記述があるが、残る福音書もローマ当局ではなくユダヤ側が死刑を要求した点では一致している。ユダヤ人迫害の根拠とされているが、そもそもイエスもユダヤ人であるし、後にローマ帝国がキリスト教を国教化するわけで、私のような異教徒の第三者は、どうも後世の微妙な忖度を感じてしまうわけだ。だから、何だと言われると困るのだが…。

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