2024年10月26日土曜日

アッシジの聖フランシスコ

https://antiquesanastasia.com/
religion/references/jesus/les_trois_
types_de_crucifix/general_info.html
「名画で見る聖書の世界<新約編>」(西岡文彦/講談社)の書評もイエスの磔刑図の話まできた。中世画の磔刑図ではイエスは『勝利のキリスト』として、苦痛や苦悩を超越した表情を見せているのだが、13世紀に入ると、表情が変わり『苦悩のキリスト』となる。右図は、それ以前の『勝利のキリスト』である。我々が目にすることが多いのは、『苦悩のキリスト』の方が圧倒的に多い。この変化に関わっているとされるのが、表題のアッシジの聖フランシスコである。

このアッシジの聖フランシスコは有名で、学院の3年生が宗教に時間に習っている。宗教科の先生との話の中で、彼の話が出たので印象に残っているのである。

12世紀末、イタリア中部のアッシジの裕福な織物商の出で、騎士になろうとしたところ病に倒れ、「家に帰りなさい。あなたのなすべきことはそこで知らされる。」という聖霊を受け信仰の道に入る。貧者や病人の世話をしていた彼が荒れ果てた聖堂で祈っていた折に、「私の家を立て直しなさい。」との聖霊を受け、実家の織物を持ち出し金に換え、父に訴えられ、法廷に召喚された彼は、その場で衣服を脱ぎ、所持金とともに差し出し「これからは天の父のみを我が父と呼ぶ。」と宣言、清貧を旨とする修道士の生活に入る。聖堂は、自ら石を積み上げて再建。彼を慕って集まった弟子と「フランシスコ会」を結成、法王は、あまりの会則のきびしさに認可をためらったと言われる。

https://note.com/meiga_
yazawa/n/n4b2d7d177e56

熱烈な信仰で、祈りの際にイエスが十字架で受けた同じ傷が彼の体に生じ、信仰の証となったと言われている。(左の画像は、ルーブル美術館にあるジオットの作品)彼の説教には、鳥も耳を傾けたというエピソードもあり、イエスの受難について語る際も、かつてないほどの人間的な苦悩は強調され、人々の心を動かしたようだ。この結果、磔刑図は、苦悩の表情が描かれるようになったわけだ。アッシジの聖フランシスコの影響は大きい。

それどころか、聖痕(特に、手足を十字架に釘付けされた傷、さらには茨の冠のドゲが刺さった後、むち打ちされた傷跡など)は、磔刑図にリアルに表現されるようになる。このイエスの磔刑図については、もう少し詳しく記していたいと思う次第。…つづく。

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