2024年10月20日日曜日

マンデラの「ウプントゥ」2

https://ameblo.jp/yueki09/entry-12051937568.html
「アフリカ哲学全史」(河野哲也著/ちくま新書)の第10章の冒頭で、著者はこう記している。人種差別の根底にある構造的暴力を改変し、そこから生じた人々の分断と亀裂を修復することは、哲学の重要な責務である。というのは、セゼールが「植民地主義論」で指摘した(10月1日付ブログ参照)ように、人種主義とは、キリスト教=文明、異教=野蛮、白人=優越種、有色人種=劣等種という図式を立て、植民地支配を正当化しようとする。何よりも思想的な営みだからである。思想は哲学によってのみ改変されるはずである。この西洋の堕落を治癒できるのは、抑圧者である白人の反省と改心ではなく、被抑圧者からの「赦し」のみである。

本書では、前述の「真実和解委員会」についてさらに詳細に述べられているのだが、ここでは、その基本的哲学である「ウプントゥ」について見ていきたい。「ウプントゥ」という用語は、アフリカ中南部で話されるパントゥ諸語に共通して見られる言葉で、端的に日本語に訳すと「人間性」「人格性」となる。南アフリカでは、ングニ系諸語(コーサ・ズールー・ンデベレ・スワジ)では「ウプントゥ」と呼ばれ、ソト系諸語(ペディ・ソト・ツワナ)では「ポト」が同義語とされる。ただし、この概念を他の言語におきかえてしまうと、そこに含まれるサブ・サハラの人々の人間観が抜け落ちてしまう。パントゥ語で「あの人はウプントゥを持っている。」という表現が頻繁に使われる。それは、その人が他の人間を気遣い、配慮に満ちた、寛容でホスピタリテイのある優しい気持ちを持ち、社会における義務に忠実な人であることを意味している.

ウプントゥは、人間の集団としての絆を強調するが、そこには人類を家族とみなす人間観が含まれる。伝統的な概念であるが、汎アフリカ主義運動が勃興してくる19世紀中頃から、西洋の人間観・自己観に対抗するカタチで打ち鍛えられてきた。このアフリカの人間観は、個人主義的、利己的、独我論的、競争的、相克的な西洋の近代人間観と対比され、批判的な視点となる。誤解してならないのは、ウプントゥは共同体を重視するとはいえ、個人よりも共同体を優先させる全体主義的な発想には立たない。

…ウプントゥは、和辻哲郎の「間柄的存在」に近いものを感じる。日本の倫理観とは少し異なるが、日本人にとっては、十分に理解可能であろうと思われる。ケニアで、初代大統領のジョモ・ケニヤッタ以来、「ハランべ―」という助け合いが強調されてきたことを学んだ。共同体の中の優秀な子どもを留学させるために、多くのハランべ―が行われたと聞く。当然留学する子どもはその恩を忘れないし、共同体に貢献することになる。情の経済と言われる、善くも悪しくもあるシステムであるのだが、こういうこれまでのアフリカの知識が、さらに理解を容易なものにしてくれるのである。…つづく。

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