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大久保や木戸は、キリスト教を日本に招き入れる気はなく、尊王思想そのままに、天皇制によって国家の正統性を保証することにした。彼らの意を継いだ伊藤が、天皇主権の大日本帝国憲法を作り上げるわけだ。明治期の尊王思想は、幕末以来ずっと生きていて、社会主義者や無政府主義者以外の国民が納得できるものだった。日本史をよくよく考えて見るに、天皇制は、鎌倉以来ずっと正統性を保証してきたといえるので、当然といえば当然であるが…。さて、この大日本帝国憲法では、天皇主権になっている。教育勅語や軍人勅語などによって、天皇教とでもいうべき宗教化が図られていく。最も東大を出た高級官僚などは、この天皇機関説的な意味合いを熟知していたし、当の明治天皇や昭和天皇は、五箇条の御誓文や憲法を遵守するという立場を常に崩されることはなかったようだ。昭和になって、皇道派などが天皇教的な突出を行うが、天皇の意思とは違うものであった。
ゆえに、敗戦後、天皇はその地位に固執することはなかった。退位を念頭にマッカーサーと会われている。マッカーサーも多くの連合国要人同様、天皇の戦争責任を追求するつもりだったようだが、これを翻す。憲法三原則(天皇象徴制・主権在民・戦争放棄)を出し、日本政府の国体護持の憲法草案を拒否し、短時間で民政局に草案を作らせた。これは、多分に極東国際軍事裁判という政治パフォーマンスが開廷する前に、天皇の訴追を退ける思惑があったようだ。天皇は1946年元旦に人間宣言を行い、天皇教の現人神でなくなった。矢継ぎ早に憲法をまとめ上げ、連合国を黙らせ、帝国議会を開いて修正させながら憲法を成立させてしまう。
こうしてみると、現在の日本国家の正統性はどこにあるのかという問いは、非常に微妙なものになっている。いまさら、天皇教には戻せない。この空虚な天皇制が正統性を保証しているのだろうか。慣習的にそうだと思うが、憲法には、”(天皇の地位は)主権の損する国民の総意に基づく”とあるわけで、日本国民はその正統性を破棄できることになっている。全くもって変な話だ。
私などは、はっきりと、現在の日本という国家の正統性を保証しているのはアメリカだと思っている。カリフォルニア以上に人口も経済力も大きな海外州である。あれだけの米軍軍基地を置き、国益上必要不可欠な、主権を持たない(いや持っているように見せている)国家。それが日本のような気がする。ここ何年かの政治状況はそれを物語っていると思うのだ。
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