この文庫本では、三部作として、竜馬がゆく、翔ぶが如く、坂の上の雲を示しているが、この後司馬遼は、ノモンハン事件について書くつもりだったと書かれている。たしかに、様々なところで司馬遼はこのノモンハン事件について批判的に書いている。まあ、竜馬がゆくは、エンターテーメントの傑作であり、ちょっと置いておいて、「翔ぶが如く」における西南戦争では、西郷を反乱に導いた桐野利秋(中村半次郎という名で薩摩屈指のテロリストだった)への司馬遼の評価は侮蔑に近いし、「坂の上の雲」では、乃木希典は無能で、伊地知幸介参謀はその上を行く無能で多くの犠牲者を出し、児玉源太郎にどやしつけられるという話が出てくる。
この西郷―桐野、乃木ー伊地知という構図は、読後実に強烈に印象に残る。著者は、司馬遼は人の好き嫌いが激しく、史実を曲げている、しかもこの構図はノモンハンへと続く布石だったと述べている。私はノモンハンのことは詳しくないので、あえてここでは書かないが、著者の言わんとしていることは十分に理解できる。
司馬遼は学徒動員で陸軍戦車隊小隊長として満州に行き、その後内地で敗戦を迎えている。くだらない戦争という観念が芽生え、昭和の軍人への批判とともに、明治の選人との差を意識するようになったといわれている。この歴史眼は、東京裁判(極東国際軍事裁判)と連動しており、極めて有害だと著者は主張しているわけだ。
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