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先日、「西田哲学の絶対矛盾自己同一」の最後に、和辻哲郎が、日本人の特性を「しめやかな激情、戦闘的な恬淡」と表現していることをエントリーした。(5月24日付ブログ参照)まさに、大谷君は、この日本人の特性を体現しているといえるだろう。
しめやかな激情…さすがにWBCのメキシコ戦では、2塁打を打った後、大きなジェスチャーで味方を鼓舞したし、アメリカ戦でトラウトを見逃し三振に討ち取った後、帽子を飛ばし喜びを表現したけれど、MLBでは、勝ちたいという闘志をうちに秘めている。だからこそのストイックな、ハード・トレーニング、食事管理・体調管理をしているわけだ。
戦闘的な恬淡…大谷君は、対戦相手を常にリスペクトしている。審判に対しても、審判の名を呼び、きちっと礼を尽くしている。これは、様々なインタヴューでもそうだ。「なおエ」が流行語になっているが、先発して勝利投手の権利を得ても、ホームランを打って打撃で貢献しても、後続のピッチャーが打たれ、「なおエンゼルスは負けました」が多い。だが、それを口に出して非難することはない。(本当はしたいだろうけれど…。)まさに、柔道や相撲の礼に始まり礼に終わるという、相手をまた味方をリスペクトする姿勢を貫いているようだ。
授業で、私は「しめやかな激情」については、「目は口ほどに物を言う」という日本人的な感覚を、「戦闘的な恬淡」については、敗戦直後、マッカーサーが厚木に到着し、皇居前のGHQ本部に移動する時、オープンカーのジープに乗り、凱旋パレード的に移動したのだが、これを見に来た群衆からマッカーサーを守るために、つい先日まで戦っていた日本陸軍が、天皇の命を受けマッカーサー背を向け警護したという事実を伝えた。マッカーサーも豪胆だが、天皇の指示を受けて恬淡を貫いた軍も凄いと私は思う。
この和辻哲郎の言葉を実践する大谷翔平君、絶対矛盾自己同一を成し遂げている姿に、サンデル教授を筆頭に世界中が感動しているのだろう、と思う次第。
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