I工業高校の新体育館 |
商業高校とは、全く正反対で男子ばかりの学校で、最初の印象は「黒」。制服の黒さが目に染みたのである。当然ながら、「やんちゃ」もたくさんいた。勉強は苦手かもしれないが、男気溢れる学校だった。まずは工業高校の特徴と教師集団について記しておこうと思う。
私がここで最初に担任したクラスは、M1Bと言う。Mは機械科、1は1年、BはB組である。つまり、学年より、機械科の方が上位にあるのである。I工業高校は、E=電気科、D=電子機械科と合わせて三科体制である。だから、卒業式で生徒の名前を呼ぶのは担任ではなく、科長の先生である。だが、生活指導部に学年主任ともう1名が在籍し、生徒指導は学校全体で指導する体制がとられていた。
大阪市立の工業高校は当時いくつかあったが、M工業高校などは6つの学校の集まりと言われていた。科の力がすこぶる強いのだ。生活指導面も各科まかせだという。反対にK工業高校は、科を超えて学校全体で指導するという体制をとっていた。I工業高校は、その中間くらいのスタンスをとっていたといえる。
生活指導面(喫煙とか喧嘩とか…)は、年がら年中忙しい学校であった。そういう面では、大変だったが、教師集団は、だからこそ団結していた。各科の工業科教員はもちろん、私の属していた普通科も、極めて濃い関係が生まれた。まあ、15年もいたこともあるが、ここで育まれた人間関係は今も濃い。
最初は、またまた教務課だった。生活指導をやりたいと言ったら、生活指導部長に迎え入れていただいた。ここでも、文化祭の運営を担うことになる。ちょうど体育館が新築され、新しい舞台が出来たのだ。以来毎年のように、文化祭の午前中の全校イベントの中心として動くことになる。…つづく。
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