赴任して1年目は教務課だった。時間割を考えたりする事務仕事が中心で、私はあまり好きな校務分掌ではなかった。生活指導部で生徒会をやらせてほしかったのだった。その理由は、この学校が夏休みに、市立伊賀キャンプ場で、リーダース・キャンプを実施していたからである。キャンプファイヤーや飯盒炊爨をしながら、リーダーとしての研修を行うわけだ。1年目は指をくわえているしかなかった。学年末に、学校長に呼ばれ、2年生の担任をするように言われた。同年齢で新任だった女性教諭は1年の担任だったので、今から思えば(校内人事の常道としては)彼女より下に見られていたと思う。(ただ、当時は校長権限ではなく、教諭が組織する人事の委員会で長時間かけて校務分掌を決めていたので、当時の学年主任S先生の引きがあった可能性もあるかもしれないが…。)私が今になってそう思うのは当然で、1年目は家庭の問題もあって、休みも多かったし、サッカー部や吹奏楽部の顧問の仕事もかなりいい加減であったし、評価は低かったと思うからである。
2年目の初担任は、2年4組で、実にいいクラスだった。出来るだけ生徒にHR運営をさせたかったし、リーダーを育てたかった。毎週、リーダーたちの協議会を行った。気になることや提案を受け、検討した。私は、このクラス担任の時、6月に結婚したのだが、式の翌日の朝のSHRで、大いに祝福を受けた。全員の声を入れた祝福のカセットテープ、妻とおそろいの刺しゅう入りTシャツを生徒からもらった。教師としてありがたいし、何よりのご褒美である。(この経験が元になり、若い先生方が結婚する時には同じような喜びを得れるよう陰で動くことになった。)
しかも、ありがたいことに、生活指導部からリーダースキャンプに関わらせていただけることにもなって、大いに意気が上がったのだった。今もつながりがある当時3年生のN君や2年生のK君らとキャンプファイヤーのチームを作り、もし、キャンプファイヤーのインターハイがあれば、全国優勝したのではないかというくらい、いいものが出来た。この時の生徒達との絆は強い。彼らは若い私に追いつき、追い越そうという意識を持っていた。若い時にしかできない教育がある。たとえ、未熟でも真正面から生徒にぶつかっていったことが、共感を呼んだもかもしれない。
クラスでは、秋の文化祭で、予選を勝ち抜き、N市市民会館の舞台でミュージカルを上演した。リバースという生徒の作文を元に、シナリオが書かれ、協議会のリーダーを中心に一致団結しての舞台だった。この時の中心人物がK君の今の奥さんである。(笑)ちなみに、N君の奥さんもリーダーのひとり。(笑)後に、2組とも結婚式に出席した。いろいろなドラマが生まれたクラスだった。
3年目、学年主任のS先生より、男女混合クラスを持って欲しいと言われ、快諾した。3年7組である。K君が私のクラスに入ってきた。…つづく。
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