つまり、かなり専門的なスタンスで全校イベントを企画・運営していたのだ。シナリオもかなり本格的であった。セリフや舞台の動き、音響(カットアウトか、フェードアウトか、フェードインかアウトかなどが詳細に記入されていた。)、照明などが一目でわかるようになっていた。これは、プロのイベント屋さんに教えてもらった書き方である。
歌番組は、毎回違う演出で開催した。「ベスト・テン」風や「家族そろって歌合戦」風など、毎回カタチを変え、先生方や生徒の代表に登場してもらい盛り上がった。照明も新しい舞台なので、N市民会館よりは劣るが、ボーダーライトは当然、ローホリもアッパーホリ(ホリゾントライトは背景の色を変えることが出来る)もあったし、サスペンションライトもいろいろ動かして設定できたのだ。第1回目の歌番組のラストは、退職間近のD科の先生が、暗転の中、サスペンションライトで上から照らされて登場、ちょっと高めの椅子に足を組みながら、河島英五を歌い、最後は(猫走りから)花吹雪が落ちるといった演出もした。割れんばかりの拍手がいつまでも体育館に流れた。
第1回目のイベントで、多くの先生方の支持を得た。ありがたいことに、新しい体育館の舞台の能力を最大限引き出すとともに、生徒(特に舞台担当の文化祭実行委員)のいいものを作ろうという頑張り、それにプラスして先生方の魅力も最大限引き出したとの評価を得たからだと思う。
でかいフライパン(高さ4mくらい)をベニヤ板で作り、その横で昔の学食のメニューをつくるという「ごちそう様」風の番組も作った。様々なSE(効果音)を駆使した。ブライパンを叩くとゴーン。空の鍋に、コロモ付のクジラ肉をOBの先生が入れるとジュ―。これらは私が舞台の動き見つめ、ブレストを通じて放送部に「3…2…1…キュー」と合図をする。これを放送部の生徒がたたく(音響が準備したテープを回す)のである。見事に決まった、という感じだ。まさに生のTV番組を作っていたのだ。
「I工(世界)まるごとハウマッチ」の時、「ずっと回る地球儀が欲しいですね。」と言うと、M科の授業で溶接を指導し、モーターで動くモニュメントを作っていただいたし、クイズ番組で、「先に押した方がパトライトが付くような装置が欲しいのですが。」と言うと、E科の先生が見事につくっていただいた。歌番組で「電飾が欲しいですね。」というと、D科の先生がつくっていただいた。これには、舞台の電気容量(私はよくわからないが…)に問題があったようで、体育館の電源というハード面から考えていただき、さらにコンピュータ制御のプログラムまで考えていただいた。莫大な費用がかかったはずだ。
私が企画した文化祭の全校イベントは、各科の先生方の「ものづくり」の情熱に火をつけてしまったのだ。普通科でも、私の後輩のU先生、M先生が脇士となって、本当によく動いてくれた。イベントの楽しさ、ヒト、モノ、カネをいかに動かすかを私の横で学んでくれたのだった。イベントを通じての人づくりは、生徒だけでなく教師集団まで巻き込んでしまったのだった。こんなことを5~6年やっていた。
最後に、I工業高校全校イベント・最大の番組について記しておこうと思う。当時、「さんまのなんでもダービー」という番組があった。なにか競技をして、競馬のオッズにしたがってゲストが賞金を懸けるというバラエティだ。競馬好きの先生に、競馬新聞の書き方を学び、U先生やM先生と、先生方や生徒の名前を馬の名前に変え、イベント用の競馬新聞を作った。(あまり教育的ではなかったが…。当然ながらあくまで遊びである。)
さんまのなんでもダービー |
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