2021年5月28日金曜日

カメルーンの英語圏

http://www.diplo.jp/articles19/1902-04Cameroun.html
「アフリカ人類の未来を握る大陸」の中で、カメルーンの話が出てくる。タイトルは、「植民地支配の呪い」である。これまで、あまりカメルーンについて記したことはないが、カメルーンは元々、ベルリン会議でドイツの植民地になった地である。その後、WWⅠでドイツの海外領土は、全て戦勝国に取られた。カメルーンは、フランスとイギリスに分割された。以来、フランス語圏と英語圏に分かれた。領土も人口も多いのはフランス語圏で、英語圏は二級市民扱いを受けてきた。

言語が違い、また統治方法や司法制度など、この英仏・二か国には大きな相違がある。私は、ケニアや南ア、ジンバブエなどの英語圏のアフリカと、ブルキナファソのフランス語圏に行った経験があるが、かなり違う。本書にもあるが、朝食がトーストと紅茶なのか、クロワッサンとコーヒーなのかという文化的な相違もある。カメルーンには、民族が250ほどもあるが、民族紛争というよりは、この植民地支配の名残が国内の対立を深めている。こういうケースはアフリカでも珍しい。

特に、英語圏の方で石油が出て、レントを巡る対立が起こっている。英語圏の住民は、フランス語圏の政府に搾取されているという感が強い。武装勢力が独立を求め、政府軍がこれを阻止しようとして英語圏では、テロが頻発している。ナイジェリアへの難民や国内避難民が続出している。

欧米の植民地支配の呪いは、今なお続いているわけだ。首都ヤウンデの歴研究家の「100年前のWWⅠ後の分割が、今の危機にどれほど影響を与えているかといえば、100%影響を与えている。」「1960年以降に今のカメルーンが結成されたが、イギリスとフランスが押し付けていた法律や教育の制度によって、今も、それぞれの地域の人々の日常生活は規定されている。我々には、統一したカメルーンらしさは形成されてこなかった。その証拠にカメルーン語という全ての国民に共通の言葉を持っていない。」という言に、私は国民国家形成のうえで、言語が大きな意味を占めることを改めて認識した。

…明治初期、教科書で「ハト、マメ、マス」という語を読ませることで東北弁を矯正し、あらゆる地域の兵士を集めることを可能にする言語理解の下地を作ったうえで、国民皆兵への道を拓いた事を思い出したのだった。

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