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このミュージカルでは、これだけは、と私が演出を提案した。最初OLが出てくるシーンで、「(生甲斐を求めて)私、ミュージカルをやるの!」というセリフに合わせ、彼女の会社の制服が左右に真っ二つに裂け、レオタード姿になるというものだ。(照明は、暗く、サスペンションライトで下に彼女だけを照らしているので、黒子は見えない。)家庭科の好きな生徒が懸命に衣装を作り、左右の黒子役が見事に裂いて見せてくれた。本番では、会場に「オオオッー」という歓声が響いた。そして明転、後ろにダンスチームが控えている。この時使った曲は、WBCのテーマ曲で、この曲を聴くたびに私はイチローや松坂ではなく、このミュージカルを思い出す。(3年4組の諸君もきっと同じ思いに違いない。)
最後は、当時はまだマイナーだった光る棒(ポキッと折ると化学反応で光る)で、裏方も全員が舞台に上がり、ウェーブをした。このミュージカルには、知人のダンサーA君の協力を得たり、生徒同士のもめごともたくさんあった。そのたびに彼女らが成長したと思う。私も若かったし、全てをかけて、イベントによる人づくりをしたのだった。
とはいっても、日常は大変だった。遅刻が多い生徒がいて、T高校では3回の遅刻が1日の欠席となるため、卒業のための出席日数に黄信号が点灯する生徒もいた。私はほぼ毎日、保護者と連絡を取り車で迎えに行った。(当時は自家用車通勤は問題なかった。)また、姉の鬱病がうつって、授業中後ろの黒板に向いて座っている生徒もいた。拒食症に悩まされたカインコンプレックスの生徒もいた。幸い、鬱の子も元に戻り、拒食症の子も三者面談で褒め殺ししたのがよかったのか拒食症を克服した。この時期、心理学をかなり研究するはめになったが、後の教師人生にとっての肥しになったので、反対にありがたく思っている。
三学期は毎日、必死だった。遅刻の多く迎えに行っていた子はなんとか出席日数を確保したものの、学習面も厳しかった。すでに1・2年生で単位を多く落としており、まさにギリギリであった。激励に次ぐ激励を重ねたのは言うまでもない。
卒業式の日。3年4組の生徒諸君から分厚いアルバムを贈呈された。みんなの写真とありがたいメッセージがあふれていた。リーダーのTさんが一言。「先生、泣かして!」私は、たった一言「ありがとう…。」と声を詰まらせた。全員が号泣して別れを告げた。
この後、一番苦労した遅刻の多かった子とお母さんが、校門を出ていった。お母さんが、振り向き、深々と頭を下げておられたのを、私は偶然目にした。教師として、一生忘れられない瞬間になった。
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