2021年5月29日土曜日

開発独裁と情の経済 考

https://style.nikkei.com/article/DGXZZO
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マレーシアに3年半住んで、私は開発独裁体制というものを肌で感じた。当時のナジブ政権の腐敗には、多くの国民はうんざりしていた。何故、開発独裁の体制下で汚職が蔓延するのか?先日、ぼんやりとそんなことを考えていた。

アフリカの開発経済学を学んでいると、「情の経済」という概念が出てくる。これは本来、農村で全員の食料を賄えない時、口減らしのために若者が都市に出稼ぎにいく習慣から出てくる。血縁や地縁を頼ってに都市に出て現金収入を得るのだが、そういうネットワークが都市に出来ているし、農村は農村で共同体のネットワークが出来ているという構造だ。反面、一人勝ちを共同体は許さない。ケニアにはハランベーというみんなのお金を集めるという助け合いを意味する言葉がある。優秀な青年を海外の大学に送り出す時などは、このハランベーが実に有効である。だが、彼が帰国した後も、このハランベーの恩は消えない。もし高収入になったり政府の役人になった場合、情の経済の構造は彼に様々な要求を行うことになる。村に、公民館のような施設を建てるぐらいで済めばいいのだが…。(仮に一人勝ちであろうとすると、アフリカでは呪術の存在が語られる。)中国古来の科挙を一族が応援するようなものだ。科挙を突破した青年は、一族を優遇するのは当然とされる。

この情の経済という概念が、アフリカの開発独裁政権内に構造的にあるように感じる。マレーシアなどの他のアジア諸国もまたしかりである。これが能力の低い官僚の登用やそれに伴う汚職を生むのではないだろうかという推論である。

日本も明治期は開発独裁である。藩閥政府で、このような情の経済的な官僚組織や企業組織が形成されていたと言える。廃藩置県後の知事なんかはまさにそうだ。良くも悪くも人間的なつながりが重視されていたわけだ。日本が先進国に飛躍できたのは、明治維新が下級武士の革命と見る視点があるように、後に藩閥以外から能力のある人材を登用したからではないかと思う。いわば、この開発独裁・情の経済という構造は、近代国家成立上の一過程、途上国や中進国の飛翔を阻止しているマイナス面であると言えるのかもしれない。

個人的には、アフリカの情の経済を絶対悪だと私は思っていない。今回の考察は、あくまでマイナス面に目を向けたものである。

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