2014年8月14日木曜日

NHK ペリリュー島の記録を見る

http://www2u.biglobe.ne.jp/~akashids
/ryokou/palau/palau24.html
昨夜、たまたまだが、NHKスペシャルで「狂気の戦場 ペリリュー~”忘れられた島”の記録」~を見た。毎年、終戦の日が近づくと、戦争の特集が組まれるが、近来稀に見る内容の濃い番組で大きな衝撃を受けた。生徒にも是非見せておきたい内容だった。

1944年9月。米軍は、フィリピン・レイテ島への上陸支援のために飛行場のあるペリリュー島の制圧を目指す。攻めるのは海兵隊の中でも最強の第1海兵師団第1連隊。一方、日本側は関東軍の精鋭を中国から呼び寄せた。しかも参謀本部は、アッツ島玉砕以降、バンザイ突撃を禁止し、持久戦に持ち込むように指示する。こういう背景の中、3日で終わると簡単に見ていた海兵隊は、未曾有の戦いに巻き込まれる。

日本軍が行ったのは、ブービートラップのないベトナム戦争的ゲリラ戦だった。最後尾の兵を音もなく殺戮し、山岳地帯に掘ったトンネルに逃げ込む。狙撃で隊列を狙い撃ち。米軍はたこつぼで睡眠を取る羽目になったという。まさに狂気の世界である。当然、恐怖感に勝てない海兵隊も続出し、自軍に射殺された例もあると言う。海兵隊といえば、たとえ死体となってもママの元に届けるのがモットーだ。だが、ここでは、死体を「丸太」と呼んでいた。(中国東北地方の生物兵器を研究していた)731部隊で生体実験された人々と同じ呼び名ではないか。私は驚愕したのだった。

業を煮やした米軍は、火炎放射器やナパーム弾を使用する。山岳地帯に潜む日本軍を焼き殺す策にでるのである。硫黄島、沖縄でも使われた、容赦ないこの地上戦の攻撃方法は、ペリリュー島の戦いから波及したものらしい。都市への焼夷弾による無差別爆撃も、結局はこの島での恐怖から派生したものではないかとも。

海兵隊の死傷率は60%。あまりの高さから、長い間語られなかったのだという。しかも、ペリリュー島攻略を待たず、(陸軍の)マッカーサーはレイテ島に再上陸してしまう。海兵隊としては面子丸つぶれである。結局、両軍とも何のために殺し合いをしていたのか、ますますわからなくなる。

最後に見た呆然と座り続ける海兵隊の映像が衝撃的だった。彼は、偶然出会ってしまった日本軍ともみ合い殺害した。その軍服のポケットから彼の家族の写真が出てきて、動けなくなったのだ。

国益のために、普通の人間が殺しあう。国益とは何か。国民に誰も殺させない以上の国益があるのだろうか。集団的自衛権の問題がなんとなく収まりつつある中、そんな感想をもったのだった。

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