長崎原爆資料館 |
3日目は、五島列島近くにまで台風が接近し、いくら「スーパー晴れ夫婦」(前回のエントリー参照)でもかなわない。が、もともと、市電に乗って「原爆資料館」に行く予定だったので、大きな影響はない。昔、広島の原爆資料館に行ったことはあるが、長崎は始めてである。広島のリトルボーイと違い、プルトニウムを使った原爆であることくらいしか正直認識がなかったので大いに驚くことが多かった。なにより爆心地が市街地より北にずれていることである。長崎滞在3日目にしてわかる話で、調べてみると、小倉を目指した米軍が、かなり混乱して、最後は第二目標だった長崎の、しかもずれた位置に落としたということになる。
からす第14部(1972年) |
私が、違和感を持ったのは、その内容というより、他の展示の多くが日本語・英語・中国語・ハングルの解説を行っているのに、ここには日本語と英語の解説しかなかったことである。帰宅後、少し調べてみたが、これまでにも、多方面からこの展示には批判があるようだ。極めて難しい問題であると思う。戦争を知らない世代であり、人権学習を叩き込まれた世代であり、今の東アジアの歴史認識のぶつかり合いに危惧を抱く地球市民の私としては、結論をすぐに出せるような問題ではない。ただ、私の感じた違和感は、この批判への資料館の対応なのかもしれないと考える次第。
長崎の原爆資料館も、極めて長崎的な充実した展示で、我々の胸にせまるものだった。隣接する国立の追悼平和記念館にもよって、妻と静かに黙祷を捧げてきた。市電に乗って長崎駅まで戻る際も、まだ、長崎は雨だった。
https://www.tengyu-syoten.co.jp/book/162453 |
というわけで、♪探し探し求めて~ 二人二人さまよえば~ 行けど切ない石畳 嗚呼 長崎は~今日も~雨だった~と歌いながら、空港バスに乗り込んだのだった。
追記:長崎駅前で、古そうな喫茶店に寄った。(前々回のエントリー参照)ウェイトレスの娘さんはいなかったが、カウンター内におばちゃんがいた。加川良の歌は30年も前の話だから計算は合うか…。心の中で…加川良がよろしくとのことです…。
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