2014年8月24日日曜日

憲法を生んだ密室の9日間

日本国憲法を生んだ密室の九日間(鈴木昭典著/角川文庫・本年7月25日発行)を読み終えた。このブログでも何度か書いているが、日本国憲法はGHQが、東京裁判で昭和天皇の戦争責任追及を忌避するために、急いで作製された草案を元につくられたものだ。この文庫本は、その日程的に切羽詰った中で、GHQ民生局のどんなメンバーが、どのようにして草案を作成したかが書かれているノンフィクションである。

まず驚かされるのが、当時のGHQ民生局のメンバーの質の高さである。その中心は、民政局長ホイットニー准将。本業は法学博士号を持つ弁護士。マニラで法律事務所を開き、鉱山開発や株の投資など様々な事業を展開していていたが、真珠湾攻撃の1年前に帰国。軍務に戻る。マッカーサーの下でフィリピンの地下ゲリラ組織を統率。ミズーリ艦上の降伏調印式のマッカーサー演説も彼によるもの。実務の中心者、ケーディス大佐。フランス(スペインとも)系ユダヤ人。ハーバード大・ロースクール卒のニューディーラー。弁護士から政府機関や財務省の法律顧問を経て軍務に。ノルマンディー作戦などヨーロッパ戦線に参加。日本に関しては全くの素人だが、頭脳明晰で人当たりがよく、クセの強いホイットニーと好対照だという。第三の男、ラウエル中佐。カリフォルニア州・フレズノ生まれで、日系人農民と接していた。スタンフォード大からハーバードのロースクールに学び、再びスタンフォードで博士号取得。もちろん弁護士で政府機関の法律顧問。当時最もリベラルな日本側の在野の憲法草案をつくった高橋岩三郎らの「憲法研究会」とのつきあいから、橋渡し役となる。さらに海軍のハッシー中佐。ドナルド・キーン博士らも学んだ日本研究の組織・民事要員訓練所で学んだ弁護士。彼らが、運営委員会を構成している。この下に小委員会(立法権・行政権・人権・司法権・地方行政・財政・天皇)が置かれていたが、その担当者も極めて優秀な専門家や日本を良く知る人々であった。

もうひとつ、驚いたこと。憲法草案は、SWNCC-150/4(初期対日方針)、SWNCC-228(憲法改正に関して具体的な指針を示した「日本の統治体制の改革」)という文書、さらに国連憲章などを軸として考えられたことである。すでに、アメリカは十分に対日占領の基本プランを制定していたのだ。草案はわずか9日間で書かれたが、実は膨大な事前準備がなされていたわけだ。

憲法草案の基礎事項であるマッカーサーノートに書かれた①天皇から権力を剥奪して地位だけを与えるという天皇条項も、②1928年のパリ条約に由来する戦争放棄に関する条項も、③封建制度の廃止も、これらの文書の上に構築されている。

さらに、GHQ民生局は日本に好意的だったことがわかる。公職追放令のリストアップは、1945年暮れには完了していたが、マッカーサーはこう言ったという。「日本の家庭ではお正月に家族全員で楽しむものだ。急ぐ必要はない。」公職追放は、年明けに延期された。

まだまだ気づいたことがある。前述の高橋岩三郎らの「憲法研究会」の案が、かなりGHQの草案に入れられていること。草案提出後、国会で第9条の自衛権について修正がなされたことなど、ポーンとGHQに憲法草案を渡されて、それを丸呑みさせられたわけではないわけだ。

まだまだ書きたいことはあるのだが、おそらく1945年当時の日本の保守政治家は、天皇を戦犯指定しようとしていたオーストラリアやニュージーランド(草案の提出時にはだいぶ軟化したようだが…。)のいる国際委員会を相手に回して、マッカーサーのようには絶対天皇(制)を守れなかっただろうと思われる。

それにつけても、アメリカの占領政策体制の優秀な人材群とその能率の良さには舌を巻く次第。

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