さっそく「若き日本の肖像ー1900、欧州への旅ー」(寺島実郎/新潮文庫)について、少しエントリーしておきたい。
ビクトル・ユーゴーが死んだのは1885年。代表作「レ・ミゼラブル」は1962年の作品。ロングランを続けたミュージカルを見て、欧米人はよく泣くそうだ。
「Do You Hear the Peoples Shing?」(民衆の歌が聞こえるか?)を聞きながら、民主主義のために闘った人々の子孫としての深い共感だという。日本にこの物語が紹介されたのは1902年。黒岩涙香が翻案した形で万朝報の連載小説で「噫(ああ)無情」と訳した。レ・ミゼラブルは直訳すれば「惨めな人々」なので、名訳だとも言われるが、このタイトルのおかげで、日本ではジャンバルジャンという男の数奇な運命の物語になってしまったと著者は批判する。…私も同感である。
(福沢諭吉らが訪欧した)文久元年の使節から20世紀の初頭にかけて多くの日本人がパリを訪れた。ほんぼ例外なく彼らは西洋文明に衝撃を受け必死に科学技術文明を吸収し、経済開発へと立ち向かった。しかし、欧米の18世紀から19世紀にかかての大きなテーマだった「デモクラシー」については真剣に学ぶことをしなかった。著者は、佐久間造山の「東洋道徳・西洋芸術(芸術は技術の意)」や「和魂洋才」という流れが、日本人であることの自尊をかけた抵抗線として、技術は学ぶが精神・思想は譲らないという心理を強く働かせたというのだ。だから、今日に至るまで、日本人は民主主義、個の尊厳と自由について主体的に考察することをしてこなかったというわけだ。
…なるほど。同感。岩倉使節団では、米欧回覧実記を書いた久米邦武や大久保・木戸などは、ヨーロッパの個の尊厳や民主主義の奥底に、キリスト教の存在を感じ、(キリスト教徒には大変失礼だが)その教理に対して、不信感をあらわにしている。この辺の明治人のスタンスをどう見るかは意見の分かれるところだ。
2014年8月19日火曜日
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