先日、電車で読む本が切れたので、名画で読み解くハプスブルグ家12の物語(中野京子/光文社文庫)をなんとなく買って読んだ。それがなかなか面白い。今回の3年生の世界史Bは、新カリキュラムで減時間になったので、2年間で4単位になってしまった。(私の転勤前に決定した話なので不如意である。)近世から近代にかけてのヨーロッパ史では、ハプスブルグ家のからむ「スペイン継承戦争」「オーストリア継承戦争」は割愛せざるを得なかった。そんな深層心理からハプスブルグ家の本に触手が伸びたのかもしれない。
この本は肖像画をもとに書かれている。だからこそわかることもある。どうやら、ハプスブルグ家の「青い血」には、受け口であごが出ているという特徴があったらしい。かのカール5世(=カルロス1世)は、歯のかみ合わせが悪く、常時口を開けていたらしい。こういうことは、あまり歴史書には出てこない。
授業で、ナポレオン3世のことは詳しく教えたが、2世については全くだった。ナポレオンが、利用するだけ利用したジョセフィーヌを離縁し、ハプスブルグ家から迎えたマリー・ルイーズが生んだのが2世だ。ナポレオンがエルバ島に流された後、母とウィーンに。当時3歳である。
ハプスブルグ家からすれば、領土を奪い自由主義を広めた憎き敵の子であり、同時に皇帝の孫でもある。かのウィーン会議の主催者・首相のメッテルニッヒは、2世を「ちびナポレオン」と呼んではっきり迷惑がった。不安定な政治状況の中、ナポレオンが皇帝を退位した直後、少年はほんの短期間だが、2世として名目上の皇帝位についた。外に出したら危険以外の何者でもない。まさに「高貴な囚人」となった。7歳の時ライヒシュタット公の称号を与えられた。だが、2世は父を崇拝し、軍人になることを望んだという。この2世と恋仲になったのが、皇帝の弟の妻ゾフィ(血の繋がらない叔母と甥の関係になる。後に女傑としてハプスブルグ家を引っ張ることになる。)である。希望どうり軍人になったものの、結核になり、若くして死ぬ。母・マリー・ルイーズはついに息子に会いに来なかった。
2世は、シェーンブルン宮殿のハプスブルグ家霊廟に葬られた。しかし1世紀後、ヒトラーによって、オーストリアは併合された際、占領したフランスへの懐柔策として、その遺骸はパリに送られ、父ナポレオンの横に埋葬され、現在もそこに眠っているというわけだ。…数奇な人生だよな。
2014年8月16日土曜日
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