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| https://www.kyoto-su.ac.jp/faculty/ir/2023_lir_124/ | 
フランスの元となったフランク王国において、ピピンの寄進、カール大帝の戴冠とローマ・カトリックとの関わりが大きいわけだが、14世紀に大シスマを起こし、ローマ教皇庁を圧迫することになる。教皇庁の権威に対し、王権の優位を示そうとしたわけだ。こういう思想をガリカリズムというのだが、宗教改革のきっかけとなった「贖宥状」のときも、フランス国内での販売医を拒否している。フランス革命前夜のアンシャン・レジームでは、国王がトップで、その下の第一身分に聖職者が置かれている。まあ第二身分の貴族よりは上だが、カトリック教会は国王の下に置かれていたことは間違いがない。
フランス革命は、この国王+カトリックの権威を完全に崩壊させた。ナポレオン三世の第二帝政が普仏戦争の敗北で終わった後、第三共和制となった1905年に政教分離法(=ライシテ法)が成立し、国家の世俗化=中立化が明確化した。この政教分離は、英国国教会がイギリス政府を、ルター派とカトリックがドイツ政府を支えている状況とは全く異なる。
このような権威を否定して、個人の権利や自由を尊重するフランスの「個人主義」が、この政教分離を支えているといえる。フランスの個人主義は、啓蒙思想、たとえば「人間は考える葦である」と言ったパスカルや、「我思うに我あり」といったデカルト以来、理性的な思考への信頼が強い。さらにフッサールの現象学の影響を受けたサルトルの無神論的実存主義や、フーコー、ドゥルーズ、デリダといったポストモダンの影響も大きい。大学入試では哲学が必須の入試科目だというのも興味深いところで、社会学的には、カトリックではなく哲学が、国家を支えているという見方があるくらいだ。
もうひとつ、フランスは、ヨーロッパにおける中華思想を持っている。フランス革命は、ヨーロッパにおける共和制と民主主義の先駆者・総本家としての自負があるのはもちろん、それ以前のフランス王室が他国の王室のモデルとなったという事実も無視できない。他国の王室ではフランス語が共通語だったし、マナーも、ルイ13世のカツラの着用など、ヨーロッパの上流社会に与えた影響は大きい。さらに、芸術分野(文学・美術・音楽)や、美食(外交での晩餐会では、日本でもフランス料理が主となっている。)の分野でも優れており、中華思想を補完しているわけだ。
…とはいえ、私はフランスは好かない。(笑)パリで、英語を話しても無視された経験が大きい。サンフランシスコから来たアメリカ人女性、ロシア人夫婦と地図を見ながら、今どこにいるのかわからないと共に嘆いていた経験を持っている。「英語などというのは記号に等しい言語だを私にしゃべれというのか。」というのは、漫画「沈黙の艦隊」でフランスの首相が、首脳会談でいみじくも語る言葉なのだが、これは事実でフランス人の中華思想は、感情論的だが実に鼻につくところである。ただし、大阪・京橋で会った道に迷ったフランス人は、英語で対応していたのだった。(笑)
 
 


 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
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