五月晴れの京大稲森財団記念館 |
京大のアフリカ公開講座、今日のテーマは「手仕事の世界に出会う」である。金子守恵助教のエチオピアの南部、ケニアとの国境に近いアリの人々の話である。新しくセンター長になられた木村先生が金子先生の紹介をされていた。「文化人類学では、方法論が難しい。特に計量的科学的分析というのは、なかなか難しい。金子先生は、その辺をうまく記録した研究者ですよ。」という紹介だった。
金子先生は、実にさわやかな方だった。説明がうまい。澱みなく、おそらく100言いたいことのうち、10くらいにまとめる苦労を厭わず、懸命に語っていただいた。最後まで立ったまま話をされたのは、これまで私が参加した講座の中では初めてではないかと思う。その誠実さと十二分に整理されたパワーポイントにも、先生の意気ごみを感じた。
実は、正直に吐露すると、今回の講座は、アフリカ好きの私にとっても最も属性のうすい話であった。土器の話なのだ。私はアフリカ美術大好き人間だが、生活用品としての土器づくりの話かあ…。ところが、これが面白いのだ。アリの人々は、ティラと呼ばれるつぼ型の土器を始め、お鍋型のディスティ、皿型のアクシャ、コーヒーを沸かすためのジャバナなどの土器(かなり販売価格は安い。)を女性が作っているのだが、かなりディープな話だったのだ。
金子先生の著書 |
さて、アリの人々の中では、農業を行う「カンツァ」と呼ばれる人々と、ものづくりを行う「マナ」と呼ばれる人々の2つの社会集団に別れているらしい。インドのジャーティ(職業的な身分階層)に似ていて、この両者は食事を共にとらないし、婚姻関係も結ばない。土器をつくるのは、マナの「ティラマナ」と呼ばれる集団の女性に限られる。若干カンツァからは、差別的な扱いを受けているようだ。しかし、彼女たちは、同時に、畏敬されている。赤く(丈夫である証拠である)、購入者にとって買いたくなるようなちょうどよい大きさのもの(「マルキ」と呼ばれる良いモノ)をつくる職人は、「手(アーニー)のよい職人」と呼ばれ、その技を評価されるのだ。この後、金子先生は、様々な職人のライフストリーを語り、彼女たちが、自分の「手」にあわせながら、それぞれ自分のライフスタイルをつくりあげていることを語った。
ところで、この地域、プロテスタント信仰(ペンテコステ派らしい)が浸透してきたという。前述のアリの社会集団の垣根が徐々に崩れつつあるという。(ちなみにエチオピアといえばエチオピア正教のイメージが強いが、全国統計では30%ほど、イスラムも30%らしい。アリの人々のうち、マナは約90%、カンツァは約80%がペンテコステ派らしい。)
レジュメに金子先生は、「今後、出会いで続けていきたいこと」として、こう書いてい織られた。『「手仕事の世界(半ば閉じられた生活空間での生業活動)が維持されているからこそ、多様なつくり方が許容されるのか?」という問い。』…ディープなコトバだ。と私は思った。幾通りにも読みとれる。開発経済学をベースにしている私が読むと、首都から2日もかかる辺境の地故に、このような伝統的な生業が成立している、これからはどうなるだろうかという危惧とも読みとれた。まさに反グローバリゼーション。また、アリの人々にプロテスタント信仰が根付き、個人として立脚するというスタンスが、伝統社会を破壊し、ますますティラマナの職人に自由を与えるだろうとも読める。で、講義終了後、金子先生に真意を尋ねに行ったのだ。
この答え、実に面白かった。私が今必死に考えていることだったのだ。
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