2012年5月15日火曜日

凡人?小渕首相の「沖縄」

G8 沖縄サミット
昨日だったか、NHKの報道番組で沖縄復帰40年をめぐる特集を組んでいた。小渕首相が、沖縄サミットを粘り強く開催するという話だった。小渕氏は、自民党の竹下派の七奉行の1人。田中派ー竹下派というと、なんだか金権っぽい感じがするが、小渕氏自身は、中曽根・福田(赳夫)両首相と同じ選挙区で随分苦しんだ人物だ。二世議員でもあり、早稲田大学の雄弁会出身。大下英治の政治小説はだいぶ読み込んだので、いまだにスラスラ出てくる。

総裁選では、小泉氏、梶山静六氏と三つ巴の戦いをした。この時、田中真紀子が「凡人、変人、軍人の争い」と評した。ちなみに、凡人=小渕氏、変人=小泉氏、軍人=梶山氏である。なかなかうまい表現だと当時のマスコミはこれを大きく報道した。そういう印象は恐ろしいもので、小渕氏は首相になったが凡人なのだ、大したことができないという評価が高かった。佐藤優の本などを読んでいるとなかなかの人物なのだが、風体には「華」はなかった。(政治家の風体に華が必要かどうか、私は疑問に思うが…。)

なぜ小渕氏が沖縄サミット開催にこだわったか?学生時代に自転車で沖縄を訪れ、遺骨収集などを行っていたのだ。当時のお世話になった地元の方への礼状にも、並々ならぬ沖縄への想いが感じられる。こういう志こそが、政治家にとっては本当の「華」なのだと思った次第。

アメリカが難色を示す中、粘りに粘って開催にこぎつける。沖縄の地で世界の指導者を呼び、世界平和を語り合うという「志」。それが必ず沖縄のためになるという「信念」。共に開催にむけ共闘した野中官房長官と、アメリカからOKの返事が来た時、二人して涙したという。私は、野中広務氏に好意をもっている。何冊か野中氏の本も読んだ。小渕氏同様、政治家としての「志」と「矜持」を感じるからだ。私とは、思想・信条は違っても、尊敬できる。今の選挙にしか頭にないような小物の政治家とは違う。

今日、世界史Bの授業で、イタリア戦争と『主権国家』について語るうち、つい「廃藩置県」の際の山縣有朋と西郷の対話を紹介してしまった。山縣も命がけなら、西郷も命がけである。二人の対談が、近代日本をつくる。中間的な権力である藩を一瞬にして消し去り、政府軍をもつ主権国家を作りあげてしまうのだ。善悪という範疇を越えて、その人間力に感動させられる。

私は今恐ろしくて仕方がない。ファシズムやマキャベリズムに毒された日本は、これからどうなっていくのだろうか。もう回転寿司のような政治ショーはうんざりである。

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