1曲目は、WBCのテーマ曲である。毎日放送(東京ではTBS)で震災復興支援の台湾戦で、前回のWBCのテーマ曲が流れていた。Jourreyの「Sepatate Ways」という曲で、昔々商業高校で3年生をもち、文化祭でクラスでミュージカルをやった。その最初のダンスに使った曲である。もちろん生徒の選曲なのだが、この曲がWBCで使われ嬉しいやら、懐かしいやら。きっとクラスのみんな(もう40歳くらいの大阪のおばさん?である。)も、そう感じているはずだ。実は、このクラス、商業高校での最後に卒業させたクラスである。たまたま欠席数やら遅刻数やら、欠点数やらの統計を見たら、学年で最もきびしいクラス編成だった。学年主任のS先生によって、こういうクラスを、あえて28歳の若造に信頼してまかせていただいたわけだ。
始業式の日、若かった私は「4組は文化祭でミュージカルをやる。LHRは行事以外、全部ミュージカルの練習をする。」と宣言したのだった。プライベートで、イベントの企画運営をやっていたので、若かったし、行け行け!GO!GO!だった。なんとか自信をつけさせたかったのである。大変なクラスだったが、一人ひとりと面談しながら、スタッフとキャストを構成して行った。ある程度軌道に乗せた時点で生徒にのリーダー群にタッチした。『一切衆生要皆生甲斐』変なタイトルだが、平凡なOLが、自分の生きがいを求める物語だ。生徒の原作脚本をもとに私が脚色した。タイプライターの効果音の中、緞帳が上がると、主役のP(あだ名がPで始まる。)が、舞台中央のサスペンションライトに事務服で立っている。充実したOL生活を送っていることを告げた後、「でも何かがものたりない。…そう、私、ミュージカルをやるの!」と呼びかけ、両手を広げた瞬間、事務服が真っ二つになり、レオタード姿になるのだ。後方には、クラスの半数がスタンバイしたダンスチーム。そして、ここで「Sepatate Ways」が流れるのだ。
本番の後、全員が泣いた。若かったなあ。怖いものなしだったなあ。そんな気恥ずかしさもある。
もう1曲は、ドイツの大統領(実質的には政治力は首相にあるので、権威として存在している。)クリスチャン・ウルフ氏の退任式が行われたというニュースだ。ドイツでは、大統領・首相・国防相が退任する時、慣例として好きな曲を軍楽隊に演奏してもらうらしい。ところが「栄誉に値しない」とする市民がブラゼラ(例の南アワールドカップで使われたうるさい楽器だ。)を吹きならしたらしい。大統領の選んだ曲は、これまた前任校の2年生のクラスでやったミュージカルで、みんなが合唱した「虹の彼方に」(OZの魔法使いの挿入歌)である。文化祭の時は出演者のみで日本語で歌い、アメリカ研修旅行では裏方も入って全員で英語で歌った曲だ。
本番の後、多くの満足した笑顔を見た。それなりに歳をとって則を越えず、というところか。
教師を長くやっていると、生徒と共有できる曲がある。商業高校で生ギターで歌った松山千春の「大空と大地の中で」(前任校でもやった。笑)や、工業高校でバスで何度も生徒と歌った爆風スランプの「Runner」などだ。
元に戻るが商業高校のあのクラスで卒業式の日、当時流行していた渡辺美里の「My Revolution」をみんなで歌った。
…『夢を追いかけるなら たやすく泣いちゃだめさ 君が教えてくれた My Fears My Dreams 走りだせる』
いまでも、カラオケで歌うと、いっしょに泣いた3年4組の生徒の顔が浮かんでくる。
高校一年の宿泊学習だったと思いますが、上記のお話を聞かせていただいたのを覚えています。
返信削除僕の場合は、クラスのプロモーションビデオを作った時、I君と頑張って押し切ったビデオの主題がボウイの「MEMORY」と、3年生の体育祭で歌いまくった「校歌」ですね!!応援団でもないのに、舞台に上がって叫び続けてました!!
若かった(笑)